10年以上にわたり、年に数回、ディーナ・ヨッフェ先生は我が家へマスタークラスのためにいらしてくれている。

長年、そのレッスンを見てきて感じることというか事実なのだが、生徒のレベルによってそのレッスン内容は全く違う。

もちろんそれぞれ違うのは当たり前なのだが、絶対的に違うことがある。

それは、音色やタッチのことに言及するレッスンに値する生徒にしか、響やタッチについてを言わないということ。

まだ基本の発声ができていない生徒に対しては、楽曲解釈のみの内容で終わってしまうことが多い。

 

わたしから見ても、この生徒は響のレベルがある一定以上の高いところまで来ているなぁ~と思う生徒にだけ、

よりその作品に相応しい音響的なことから1音の音色のことを含め、おっしゃるのだ。

 

このことはヨッフェ先生に限ったことではなく、マキシム・モギレフスキー先生のレッスンも同様であり、

一般にロシア人のレッスンそのものがそういう傾向にある。

 

わたしの生徒で、私に基礎を学んでからではなく、ロシアの基礎を知らないまま日本からモスクワ音楽院に留学した何人かの生徒たちの話を聞いても、やはりモスクワ音楽院の教授たちからはテクニック的なことは教わらなかったと聞く。

 

要するに基礎から教えなければ、音色のレッスン、テクニック的なレッスンは成立せず、それを教えるのは教師の側からすればとても大変なことゆえ、大学の教授レベルの先生たちはそんなことからは教えないのだ。だって、日本の大学の先生にしたって日本のピアノの基礎は教えないだろう。皆、下見と呼ばれる若い先生にそれを託し、曲がテクニック的に出来上がっていなければレッスンしてくれないのだ。

 

 

昨今、モスクワ音楽院に留学して帰ってくる日本人は多いが、わたしの知る限り、皆ロシアの特徴であるベルベットのような光沢のある響きでは弾いていないと感じる場合が多い。

残念ながら、それが現実だと思う。