最近、つくづく思うことだが、現代の鍵盤楽器であるピアノと呼ばれる楽器の可能性を考えたときに、いったい世界中でどれだけの人が本当にその可能性を引き出して弾いているのだろうか?

 

このことを考えたときに、私の知る限り現存する、なおかつある程度の世界的知名度が伴ったピアニストの中ではアンドレイ・ガヴリーロフとグレゴリー・ソコロフ、ディーナ・ヨッフェ先生の3名だけ。

 

これはどこまでレガートができているかということでもあるわけで、レガートにも数段階あると思う。何をもってレガートとするか?それを物差しで測ることができる。

 

現存するピアニストを世界中で見渡して、たったの3人しかレガートができていないという感想を持ってしまう私は特異な考えを持っていると自分でも思うのだが、正直に思うのだから仕方がない。

 

わたしに言わせれば、わたしがロシアピアニズムに傾倒しているとしても、ほとんどのロシア人ピアニストのレガートがレガートになりきっていないと思う。私にとってはカンタービレに歌っていない、つまり物足りないのだ。

 

レガートとは何か?を執拗に追求してきた私の28年目にしての率直な感想。

 

現存するピアニストの演奏を聴くときに、私が感覚的に聴いていられるのは、たったの3名だけ。物故者も含めれば、その幅は少々広がるが、なんとも寂しい限りである。

 

 

 

 

 

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