要するに美意識だと思う。何をもって美しいという定義は人によって異なる。だからさまざまな美が存在してよいのだが。

それにしても、ピアノを演奏するうえで本当に美を求めているのか?と考え込んでしまう時がある。

想像するに、往々にして耳がきこえていない、耳を使っていない場合が原因になっていることが多いような気がする。このことは非常に基本的なことなのだが、実はおちいりやすいことでもある。特に若い人に目立つ。「きく」よりいかにうまく「ひく」意識が優位になった場合に生じる。

うまく弾くには、うまく弾くことを思うより、どこまできくことができるかが大切だと思う。

という基本的なことをここで言いたいのではない。

そのようなことは当たり前のことで、その先のどんな美を求めるのか。どこまで美意識が洗練されているのかということが大切で意識しなければならないと思う。

例えば、ある種の傾向、方向の美を求めるとする。

その種の美の度合い。それが大切で「美しい」よりより美しいという意味で「麗しい」という。

本当に自分が求め、達成している領域の演奏が「麗しい」というレベルに到達しているのかを自分自身に問わなければならないと思う。

上には上がある。

それを感じられる感性を磨くことは大切だ。