私がロシアピアニズムに傾倒した理由。

ここまでの道のりは正直大変だったが、路線変更して後悔はない。なぜなら、以前に比べて音楽の発想が自由になり、よって表現できる幅も比にならないくらい広がった。

要するに、比にならないくらい、弾きやすい。

サイズが小さすぎる服を着ていたのが、ゆったりとした服に着替えたようだ。

この心と身体の自由は、それを実感したものにしか残念ながら味わえない感覚。

とにかく、弾きやすいと思える。

これで、やっと音楽に集中して演奏できると思えるようになった。

こんなに響きが増すと、響きが織りなす、面白さを感じることができるようになった。

ピアノを弾くという行為が、大げさかもしれないが、それまでの感覚は、まるで牢獄に入れられていたようにさえ感じる。

今は大空を自由に羽ばたく鳥になれた気分だ。

超一流の演奏家の凄みの一つは、音楽はもちろん、テクニックの違いも大きいと思う。

弾きやすいということは、イコール、音楽の発想に繋がり、ただ単にテクニックだけの問題だけではない。

それは、それを得たものにしかわからない感覚であり世界。

それを知らないものに、外側からつべこべいう者がいるが、それは知らないから言えるのであって、知った者からすれば、どうでもいいこと。

とにかく、弾きやすいという身体的な感覚を追求することは大切だと思う。