今、モーツァルトの1番のソナタを教材としてレッスンしていて感じたこと。
16分音符の伴奏音型の弾き方を説明した。
細かい音と言えば良いだろう。本当に細かく、瞬間的に過ぎ去ってしまう音。
この場合は厳密にはレガートではない。
その過ぎ去る瞬間に命が宿っていなければらならい。
具体的には、倍音と呼べる余韻が、ほんの僅かだが残らなければならない。
音の鳴った瞬間の音、これを基音とするならば、これだけでは死んでいる音といってもいい。
その基音の音を、命の宿ったものにするために、その後の過ぎ去ってしまう瞬間の余韻に運んでもらわなくては、広いホールの後ろまで届かないと思った。
すなわち、倍音が基音を運んで客席に届けるということ。
間違ってはいけない。基音が飛ぶということはあり得ない。
そんなイメージを持つことがまずは大切に思う。
そして、そのためには、どういうタッチが必要なのかを本気で考えてみる。
皆さん、どうですか???