昨日レッスンに来た生徒から質問された。
自分が自分のために演奏もせず勉強を続けていることの意味があるのか?
という趣旨だったと思う。
もちろんあると思う。
伝統あるクラシック音楽を継承し、次の世代へ受け渡してゆく大切な役割があるということ。
ましてや、このピアニズム、世界中で確固たる伝統あるピアニズムと言うものがいくつかあると思うが、その1つを継承する喜びというものがあるということ。
日本の伝統文化の世界でもそれぞれの伝統があるように、世界でも同じく伝統あるものが枝分かれし、それぞれに個性を放って受け継がれていっていると思う。
私は、たまたまロシアのピアニズムのある種の伝統に惹かれ勉強し、生徒へ受け渡している。
私の知る限り、ドイツの伝統、ウィーンの伝統、パリの伝統、ロンドンの伝統、イタリアの伝統というものもあるように感じる。そのほか私が知らないだけで地域によりある種の共通分母を持った伝統というものがあると感じる。
日本にも日本独自のいくつかに分かれた伝統というものがすでにあり混在しているように思う。それもまた共通分母を持っているように感じる。
1人の人が行っているのではなく複数の人間が同じことをやっていれば、それは共通分母を持つことになる。
それが2人しかいなかろうと、1000人いようと、数の多さではないと思う。
自分の勉強しているピアニズムがどの伝統、どのピアニズムなのかを意識してみることは面白いかもしれない。
伝統を継承する喜びというものを。
伝統を受け渡してゆく喜びというものを。
そういう喜びというものがあるように感じる。