今、2人の生徒のレッスンをした。
1人はシューベルトのアムプロムプチュop.90
もう1人はシューマンのクライスレリアーナ。
2人とも、若いピアニストとしてリサイタルに向けて練習している。
その2人の演奏を聴いていて感じたこと。
どのようなタッチで弾けば、そのパッセージがミスなく再現でき、
どのようなタッチで弾けば、ピアノの音色が変わるかを既に知っている。
しかし、シューベルトやシューマンが書いた楽譜と向き合いきれていない。
私に言わせればそれは音符という記号。
それぞれの持つ固有のセンテンスの長さやリズムなどが、音符という記号を読んで正しく演奏しただけ。
大切なのは、音符という記号では書ききれなかった、作曲家の心からの魂の叫びを感じること。
もしかすると、記譜されている音符とは違う瞬間もあるかもしれない。
作曲家が書き残した記号を頼りに、無限の可能性を追い求め、もがき苦しまなければ芸術とはいえない。
真の美の追求。
何かの奇跡が起こる瞬間を生み出さなければならない。
苦悩の日々、葛藤の日々、模索の日々。
既に持っている、感覚や技術を総動員して、様々な美の瞬間を探し求めること。
それが真の練習だともいえる。
正しいだけ、美しいだけの優等生で表面的な演奏はいらない。