およそ30年間、私はロシアのピアニズムを研究してきた。
そしてある境地に至ったのだが、その中の1つに日本人なら日本人にしかできないような演奏をすること。
私は留学中、ドイツ人やオーストリア人的な演奏をしたいと思ったものだ。
その後、ロシア人的な演奏をしたいと思った。
何を持ってその何とか的なというかは人によると思うが、私は私の中の物差し、感受性からそう思う演奏を目指してきた。
でも今は違うような気がする。
何か間違っていたような気がする。
いかに、西洋音楽を日本人ならではの感受性を交えて、日本人にしかできないような西洋音楽を目指すべきかと思うように至った。
日本には胸を張って、あると言える日本的な感受性をもとに日本の文化、伝統、芸術が脈々と継承され細々ではあるが存在している。
その存在を再認識し、自分の感性に取り入れ磨く。
そして、その感性で西洋音楽と対峙したときに、なんとも魅力的な演奏につながるのではないか。
それは日本人特有の繊細さ。
動より静の世界。
そんな演奏に心から惹かれるようになった。
まるで日本流にアレンジしたフランス料理のごとく。
西洋と東洋の融合ともいえる。