今、私の下に習いに来ている生徒は様々な考え、感受性を持っていると思う。
確かに私は、30年近くロシアピアニズムにこだわり、追い求め、今ある地点まで確立されてきた何かを得たのだろうと思う。
でも、そういう私でもロシアピアニズムの流れを汲んでいるピアニストしか聴かないわけではない。世の中には様々なピアニズム、伝統が存在し、現に魅力ある演奏が存在している。
私は私が追ってきたピアニズムだけが良いのではないという境地に次第に感覚が変化してきた。
話を元に戻そう。
私に習いたいと言って来る生徒は様々だ。私は良かれと思って1年前から子供の教本、モーツァルト、指のトレーニングを生徒たちにやらせてきた。確かにその効果は私の予想以上の良い結果を生んでいるような気がするが、それはそれ。
生徒の中にはそれについて共感できる割合が少ないと感じる者もいる。
でも、それなりに上手くなっている。
確かに私の理想は非常に狭い範囲にあり、それをついつい生徒に求めてきてしまったのだが、果たしてそれがその生徒にとって本当に良いことなのか?と思うに至った。その方法以外にも、その生徒が望む方法でよくなる方法を考えるべきなのでは?と思うようになってきた。
私の主治医は患者の気持ちに沿うべく、患者の話に耳を傾け、その患者の望む薬を処方してくれる。一方的に患者の話を聞かず薬を処方するのとは違う。
要するにそういうことなのかと思った。
上手く言えないが、私は私が傲慢だったように感じている。