ピアノの演奏が話題になるときに、人は「音色」という言葉を簡単に使う。
果たして、どれだけの人が本当に「音色」が見えている、もしくは感じているのだろうか?
このことが私の頭をよぎることがよくある。
世界中のピアノ教育現場で「音色」という言葉が当たり前に口にされるが、言っている、要求している教師が本当に「音色」というものを認識しているのかは、はなはだ疑問に感じざるを得ない。
なぜなら、世界中のピアノ演奏を聴いていて、「音色」が存在すると思える演奏家は一握りと思ってしまうから。
本当は「音色」が見えない、感じられないなら、そうなれるように正直に努力するべきだろう。
今でこそ、私自身、「音色」が見えるようになったが、その領域に達するまでどれだけの時間と労力、経験が必要だったことか。
絵画に関心を持つようになってから、その感覚はなお一層鮮明になってきた。
絵画に興味がなかった時の自分を思い返すと、その感覚は盲目に等しいのかもしれない。
今だから言えるようになったのかもしれない。