ここ半年の間、私のレッスンではモーツァルト中心に音の少ない曲を弾かせていることが多い。
モーツァルトの音楽の世界にはありとあらゆる表現が要求されており、そのさまざまな要素が凝縮されているように感じる。
音楽はもちろんピアノという楽器を扱うテクニックも多種多様であり、ハーモニー感や音程感、それとは切っても切れないリズム感など音楽的なことと響きをどう表現するのか?といった所謂、倍音の量や色、倍音の膨らませ方などまでに及ぶ。このことは非常に地味ながらも困難を極める。
思うに、一般的に音大生ともなればある一定以上の水準の曲を皆弾いているが、そのほとんどはただ大枠をなぞっているにすぎず、音が多すぎて、場合によっては演奏者自身で聴き取れてもいないし、やみくもな演奏になってしまっていることが多いように感じる。
最近の私はヴィルサラーゼ氏がインタビューで言う、モーツァルトを勉強することの大切さをしみじみと感じるようになったのだが、要するにこういうことか!と実感した次第。
なんだか苦言を呈しているようで自分でも嫌なんだが、最近思う私の個人的な思いである。
卒業演奏会シーズンで、ネット上でもその内容を目にすることが多いが、その多くは音が多い難曲が勢ぞろいしている。それを見るたびに心中複雑な気持ちになってしまうのだ。
そのような難曲の内容を把握し、本当に表現することができるのだろうか?
モーツァルトを弾いたらどうなってしまうのだろう?
そのような曲を弾く前にもっと知らなければいないことが多いのでは?
本末転倒ではいけないと思う。