私はこの2年近く、日本画を中心に若手作品から1億円もするような巨匠作品まで見てきた。何百枚見てきたのかは自分でもわからないほど。そして最初の頃は感じられなかった何かを感じることができるようになった。それは頭で考えて理解しようとはせず、あるがままを感じる、肌で感じる姿勢を貫いた結果だ。
また、文芸作品と言える芸術から多岐に渡る分野の書物を乱読しているが、やはり何かを感じることができるようになった。同じく感覚的に文章を捉えているのみに過ぎない。
絵画でも書物でも、実際に目で見ることができる。
でもその何かとは、不思議なことに目には見えない何かなのだ。
結局、どちらの分野でも「描かれている」「書かれている」以上の何かが存在するかしないかだ。
「見ている」「読んでいる」うちに自然と感じてくる何か強いエネルギーというかメッセージがあるものなのだということを享受できた時ほど幸せなことはない。
つまるところ演奏と同じなのだ。
実際に聴こえてくる以上の何かが演奏の中に含まれていないと私の耳は離れてしまう。良い演奏とは1つのフレーズの中に様々な要素が含まれ聴く者に何かを感じさせる。
また、メッセージ性の存在する作品や演奏から虚栄心やエゴイズムを感じることがしばしばあるが、それに対して、まだまだ青いなと思って距離を置いてしまう。
平凡と非凡の差はそこにあるのかもしれない。
優れた作品や演奏の中には魂が宿っているのだろう。
何も考えずに、例えば難解だからといった先入観を持たず、横山大観でも三島由紀夫でもワーグナーのオペラでもなんでも触れてみたらどうか。
そうして私自身も「違いがわかる男」というか「違いがわかる人」になってきたのかもしれない。