「他人と同じことをしていてはだめだ!」とふたこと目には言っていた私の父。だからというわけではありませんが、でも多分無意識のうちに洗脳されていたかもしれませんが、私の過去を振り返ってみると、今でもそうですが他人と同じことにあまり注目しないというか、気にしないというか、どうでもいいというか独自の世界を追い続け独自の世界で生きてきたようにも思えます。
そもそも、小学生のころから授業は聞かないで窓の外の天高く存在する雲や青空を見つめてはいろいろな空想にふけっていたものです。あの雲は○○だなぁ~などと。
ピアノを始めたのは比較的遅いのですが、バイエルをやりつつ全音ピアノピースを親にねだっては買ってもらい、おそまつなものでしたがショパンの「別れの曲」や「幻想即興曲」、「英雄ポロネーズ」などを好き勝手に弾いていました。その後のことを考えると当時が一番ピアノを、音楽を純粋に楽しんでいた頃かもしれません。同じピアノが好きといっても、ほかの門下生の特に女の子たちは、私に比べ大人だったのでしょう!もっとまじめにピアノと向き合っていたと思います。
その後プロを目指してピアノと向き合うことになるわけですが、先生も変わりより厳格なレッスンになり、主にベートーヴェンのソナタ中心の勉強が長く続き、そんな中でも好き勝手に家ではチャイコフスキーのコンチェルトなど弾きたいものはレッスンに持っていかなくても弾くということは続けておりました。
大学に入ってからも、なぜ自分はアルゲリッチのように上手く弾けないのだろうといつも考えていました。そのためにはありとあらゆる練習方法を考え、この方法はどうだろう?これなら弾けるようになるかもしれない?というあんばいに試行錯誤を実践していました。今から思うと非常に滑稽ですが、時には指先の関節が柔らかいから弾けないのだと思い、「これこそ世紀の大発見!」とばかりに指先の関節にセロハンテープをぐるぐる巻きつけ固めて弾いてみたりしました。もちろんそんな単純な方法で弾けるようにはなりませんでしたが。望みは無残にも砕けたのでした!
実際には卒業試験は受けなかったのですが、大学4年になった4月1日付で中退しました。桐朋の卒業試験に考えていた2曲のうちの1曲はベートーヴェンの最後のソナタ、作品111の第2楽章です!当時その作品に心から惹かれ、恋い焦がれていたといってもいいでしょう!周りの学生たちがこぞって技巧的で派手な作品を選曲していてもかまわず、自分は自分を貫き通していました。敢えて地味な作品で挑むという決意にみなぎっていたのです。
しかし、周りがきちんと卒業するというのに、結局自分は自分でさっさと中退し、ヨーロッパに行ってしまいました。なぜなら世界的に通用する技術は今の自分が身に付けている技術とは根本的に違うのではないか?と思い始め、それを求めて日本大好きな私でしたので後ろ髪をひかれながらもヨーロッパに旅立ちました。
今、現在の私も結局は同じような気がします。ロシアピアニズムに惹かれ、それを習い、研究、教え、ブログに執筆もしています。この日本に於いては特殊な存在の一人と自分で思っております。変わった考え、中には拒絶する方もいらっしゃるとちらほら私の耳にも伝わってきますが、そのようなことはお構いなしに結果として他人とは違うことをやっています。そんな自分に対して、近頃では使命感までわいてきました。
亡き父の言っていたように「他人と同じことをしていてはだめだ!」という人生を歩み続けてきて、これからも続けていくのでしょう。若い皆さんにも参考になれば。
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