私は既に20年近く御茶ノ水に住んでいます。御茶ノ水には芸大附属高のあった近くに大変に有名な某中古CD、LP店があり、時折私も掘り出し物はないかと足を運びます。また聴かなくなったCDも比較的高価買取もしてくれます。興味深いのは客のほとんどが中高年の男性で、一度に山のように積み上げて大量に購入している方も珍しくありません。その多くはおそらくは高価な、しかも何千万というクラスのオーディオを持っていそうでインテリな雰囲気を醸し出しているではありませんか!店には往年の指揮者フルトヴェングラーのCDだけが大量に収まったコーナーもあります。そのような比較的裕福な中高年の男性が大勢いることでクラシック音楽は支えられているのかもしれません。その多くはハイクラスのオーディオで聴いているからわかるであろう鋭敏な耳の持ち主なのかもしれないのです。オーケストラに例えるならば、例えばベルリン・フィルやウィーン・フィル級のピアノ演奏をしかもそのようなオーディオで日夜聴いているのです。
さて本題に移りましょう。
耳の肥えた方の多くは、おそらく集まった音と集まっていない音の判別がつくと思います。これは、残念ながら日本のピアノ教育現場では存在しない概念です。その証拠に集まった音という言葉自体を使うことはないですし、その意味すら分からない専門家が多く存在すると思います。ですからそのような音は求められてはいませんし、習っている学生も求めるどころか演奏するという意識の中に存在すらもしていないのです。日本の音大生の演奏を聴いているといつも思うことです。音が集まっていないということが!
音を集めるということは非常に重要なことであり、超一流の演奏家の世界、これはピアノに限ったことではありませんが、当たり前に行っていることなのです。
それでは集まった音をピアノで出すにはどうしたらよいのでしょうか?
それは手のひらから指の屈筋に至るまで、インナーマッスルを自在に使いこなすことで実現できるのです。従来の奏法ではこのインナーマッスルを使うという意識はなく、むしろ脱力して指の動きで音を出すので、全く違う感覚で弾くことになります。
手のひらから指の屈筋まで何かものを握るような緊張感を作って腕の重みを支える土台を作ります。その土台がしっかりしていなければ音は集まらないのです。言ってみれば、日本のピアノ奏者の大半は真逆の弾き方をしているのです。さて、土台を作っただけでは実際には手がこわばってしまい、弾くことはできません。そこに矛盾があるのですが、ある程度の土台、インナーマッスルの緊張感の具合により音の集め方を変化させるのです。それにより音のキャラクター、音色が変わるのです。不思議なことに良い楽器ほどその違いを鋭敏に感じ取ってそれ相応の響きの変化が付き楽器が歌ってくれるのです。
その土台を作ったうえで、私は指の第2関節から先を脱力させ、面白いことに指先の皮膚の薄皮一枚を意識し究極的に脱力するのです。それをしてみると音に響きのふくらみが生まれ倍音豊かな響きになり、1音の中にハーモニーが聴こえだします。イメージからするとそういう音は集まった音とは真逆ですが、集まっているのです!響きの広がりが空中で目で見えるかの如くに七色に広がり、それを生み出すために基音を集めるのです。
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