1音を鳴らすときに理想の基本の響きは集まった音じゃないといけません。この概念はロシアピアニズムの特徴の1つですが、考えてみるとロシアピアニズムでなくても音色豊かに歌い上げていればいるほど音は集まっているのです。

 

感覚とは変わるものです。

集まっていない、普通の発声、一般的なタッチで弾かれた音を自然に聴き、受け入れていた私の耳だったはずなのですが、この25年間のうちに大きく変わってしまいました。

 

通常のタッチで弾かれた1音は、私の耳には響きが散ってしまっている、だらしのない音。音色の変化のつかない音。伸びきってしまったゴムのようにだらしのない音。そんな音に聴こえてしまいます。

 

今となっては、もちろん汚くはないのですが何も魂のこもっていない空虚な音に感じられ、たとえその演奏が音楽的解釈において素晴らしくとも、そのような1音の羅列する演奏では気が付くと自然に耳が離れてしまうのです。

 

なぜならば音色の変化というより、音の強弱と歌いまわしの違いでしかないからです。

 

厳しくいってしまえば、世界基準のスタンダードな演奏の基本のレベルはそのレベルでしかなく、ごくごく一部の有名無名にかかわらずピアニスト、ピアノ教師だけが行っているとてもハイレベルな領域なのです。

 

驚かれるかもしれませんが、ロシアピアニズムの領域でさえ集まった音で弾いていないロシア人やロシア系の教育を受けたピアニストのほうが大勢いるのが現実です。

 

私が言いたいのはロシアだけに限らず世界の超一流のスタンダードといえるのは、集まった音で弾かれている演奏だけなのです。もちろん、わが国日本のレベルなどは何も引っかかりはしないのが現実で、世界中の集まった音で弾いているごくごく一部のピアニストやピアノ教師からは相手にもされていないでしょう。

 

これが現実なのです。

 

悔しいと思いませんか?

 

日本のピアノ教育現場は残念ながらそのようなレベルからは大きく引き離なされており、その現実に気付いている人もまた専門家には少ないのです。むしろ音楽愛好家の方々のほうがよほど感じているはずです。音楽愛好家たちの耳は研ぎ澄まされているのです。音楽愛好家たちが日本人ピアニストのCDを高価なオーディオで聴いていると思いますか?そんなはずはないと思います。いわゆる好みは分かれるとしても、その多くは海外の演奏家しか聴かないと思います。

 

この認識の違い、日本のピアノ界とクラシック音楽を実際に聴いている耳の肥えた音楽愛好家の方々とのギャップは大きくかい離していることに日本の偉いピアノの先生たちは気づかずに持論が正しい、よい演奏よりも正しい演奏をさせコンクールで入賞させることに躍起になっているとしか思えません。

 

だから日本の若いピアニストはコンクールに優勝できてもそこまでなのです。

 

冒頭に記述した、集まった音など求めてもいないし、認識さえないのが現状なのです。

 

専門家のほうが音楽愛好家より、自身の考えに執着するあまり高慢な意識すらあるように思いますが、耳の感覚は劣っているという現実に目を向けようとさえしないのです。

 

残念ながらこの溝は大変大きく、埋まることは簡単にはないと思います。

 

 










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