最近のレッスンで子供の教材を勉強するということの重み、理解を生徒たちから得ていることは嬉しいことです。
シンプルな単旋律をいかに音楽的に自然なレガートを基本に表現するのか?ということを中心に学ぶためには最高の方法です。
まだ若い学生はもちろん、教師をしている生徒さんたちにとっても、その指導方法が変わったということです。1人でも多くの子供を教えている指導者の方々のレッスンの内容、質を変えることが今の日本のピアノ界のレベルを上げることにつながると思います。伝統ある西ヨーロッパやロシアの少数派のピアノ界にはそれなりの高い次元のピアニズムが根付いており、そのようなピアニストやピアノ教師からすれば、日本を含め全世界のピアノ界に伝統あるピアニズムが継承されていないということを実際に継承している人たちは思っているはずで、その現実を覆さねばならないと微力ながら痛感しております。
もちろん後からでもその人次第で身に付くことだとは思いますが、導入からそのような教育を受けて育ったほうが理想的だといえるでしょう。だからこそ、子供たちを育てている教師が勉強し、意識を変えなければならないと思います。その責任は社会的責任を伴っており、教師自身が広くは縦軸にも横軸にもその軸の1点であるということを踏まえたうえで指導、研究するべきです。
それが真の音楽、ピアノをやるということの原点であり、本当の意味でのそれ行う素晴らしさ、楽しさ、苦しさを通して理解できることだと実感しています。
そもそも音楽、ピアノをやるということの意味や目的は、乱立するコンクールを受けて入賞を目指すとか、演奏家になるとか、一見華々しく外からは見えることではありません。もしそれが目的だとすれば、それは非常に短絡的なことであり、大きな勘違いだと私は思います。習う側も教える側も、そこのところを勘違いしてはなりません。何事もそうですが、本当はとても地道な世界、精神世界、自分との戦いや心の葛藤の連続であります。真の芸術とはそういうものです。それに気が付いていないままでいると、いつか必ず真の目的は何だったのかということを見失い行き詰ることでしょう。残念ながら、現実はそのようなパターンに陥ってしまう方が大勢いるような気がします。
とある音楽雑誌を久しぶりに見てそんな気持ちになりました。
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