大学3年生の時の話です。恩師の強い勧めでバルセロナのマリア・カナルス国際音楽コンクールを受けたのですが、スペイン語はもちろん英語も話せない私がよく3週間以上当地に滞在し生きて帰ってこられたものだと我ながら信じられないというか、初めての外国ということもあったのでしょう、そこは好奇心と若さで乗り切れたのだと思います。
数々のおかしなエピソードがあったのですが、すでに30年近く前の話なので記憶も定かでないのですが。
このコンクールは、今は知りませんが当時は一般家庭がボランティアとして練習場を提供してくれました。慣れない外国の街を地図を片手に地下鉄に乗って練習に通うのです。
私が割り当てられたご家庭は、なんとアントニオ・ガウディの作った有名なカサ・ミロに住まわれているお宅でした。
主人のマダムは非常に気さくで音楽好き、遠い異国からやってきた私を温かく迎えてくれました。スペイン人なのに英語が堪能で話し好き、言葉のわからない私でさえも日が経つうちに打ち解けることができ、マダムは英語、私はたっぷりのゼスチャーで、しかも日本語!何とかなったものです。
ある日、確か日曜日だったと思うのですが、今日は大事な2次予選という日にいつものお宅に伺うと、大きな広間に15人ほどの老若男女の人々がソファーに座って私の練習を聴くために集まっていたのです!
いつもはマダムとお手伝いさんしかいないので自由に練習できたのですが、その日に限って・・・。
私は狼狽しました。
大勢の方が黙って静かにソファーに座り私の演奏を聴こうとしているのです。練習なんてできるはずがないじゃないですか!気になるところの部分練習ほど聞いていてつまらないものはないはずです。私は意を決して、鈍った状態の指で練習ではなく、1時間のプログラムを弾いて、いきなり演奏会をせねばならない状況に追い込まれたのでした。心の中は焦り以外の何物でもありません。1曲弾き終えるごとに拍手なんですから。
こんなんじゃ、練習にならないし半泣き状態で弾き終えた私は早々にお宅を後にし、コンクール事務局に「練習ができない!」と片言の英語で泣きつきました。
そうしたところ、それではここへ行きなさいと言われ地図を片手に音楽学校のような場所に練習をしに行けと指示されました。とにかく焦っていた私はその場所へ行って、そこにいた物腰の柔らかな優しい鍵係のお婆さんに理由を話したところ、それじゃこの部屋で練習をしなさいと案内され、やっと練習ができたのでした。当時の私でしたから、従来の奏法でしたので指ならしにハノンからです!
2時間ほど練習ができたように思います。さっきのお婆さんがやってきて、「今日はもう終わり、夕方の2次予選聴きに行きますからね!」と優しく笑顔で言ってくれ建物を出る私に向って、ドア越しにいきなり恥ずかしそうに日本語で「サヨナラ」と言って手をふってくれました。
そのお婆さんのおかげで私は無事に演奏することができたのですが、ただの優しいお婆さんだと思っていたのですが、数日後の授賞式の時になんとあのお婆さんが舞台の上の来賓席に座っていたのです!ただの鍵係のお婆さんじゃなかったのには驚きました!
ちなみにコンクール期間中、一切観光をする暇もない私は、サグラダ・ファミリアも見ないでバルセロナを後にしました。なんともったいないことでしょう!
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