昨今の若者を観察し、生徒たちの演奏、将来への夢、その他もろもろの会話を聞いていると、なんというか、自分が20代だった時に比べてしまうのですが、とにかくエネルギーが感じられないことが多々あります。

例えば、演奏についてですが、1音に込めるエネルギー、その音を次の音まで引っ張っていくエネルギー(これは技術的なことも大きくかかわってきますが)が足りないのです。

 

多少下手でも良いから、何はともあれ聴いている人に伝えようとするエネルギーがほしいと思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

熱い情熱が感じられないのはなぜでしょうか?

 

私自身のことを申しますと、この25年近くの間、ひたすら美しい1音、合理的な奏法、ピアノという楽器の可能性の追求を第1に考え追求してきた人生といっても過言ではありません。もちろん技術だけではなく音楽そのものへの探求心があってこそです。一昨日のレッスンでも、1番古いすでに20年近くなる生徒ですが、長年その生徒の演奏に対して感じていた技術的な問題をふとしたきっかけで払拭することができました。20年ですよ!その生徒もよく僕と20年もかかわっているくれていると思いますし、20年一緒に探求し続けてきた仲間とも言え、その生徒に対しても敬意の気持ちがわいてくるほどですが。

 

10年ひと昔といいますが、これではふた昔ですね!

 

何事も何かを追求するには時間と情熱あるのみです。桐朋学園の創成期の学生だった小澤征爾氏、中村紘子氏など日本を代表する音楽家はもちろん、その時代の人たちの情熱には頭が下がる思いでいっぱいです。

 

昨今の若い生徒たちを見ていて残念ながらそのようなことを感じてしまうのは私だけではないと思います。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村