私の生徒たち、主にここでは若い10代から20代の人たちのことですが、上手く達者に弾く人もいれば、そうでもない人もいます。一般に教師は上手い生徒のほうをかわいがる傾向にあるように感じます。まるで上手い人のほうが、人間的価値があるかの如くにです。これは非常に短絡的で恐ろしいことだと思います。

本質的なことを考えたときに上手いということの意味をどこに基準を置くかで、その人が上手いのかそうではないのかが変わってしまうほど本来はあいまいなことだと思うのです。

確かに情報処理が正確で素早く、教師が言ったことをその場で瞬時にこなすことのできる生徒のほうがレッスンは、はかどるのは事実でしょう。でもそれは、上手いかもしれませんが良いとは限らないのです。情報処理力の違いでしかないのですから。

 

世の中には、残念ながらただただ上手く弾く演奏であふれているように感じます。

情緒がはぐくまれていない演奏です。

美しい響きとは?

美しいフレーズとは?

というごくごく基礎的なことに多くの時間とエネルギーを割いていない、そういうレッスンを幼少のころから受けてきた結果なのかもしれません。

 

ですから、小さな子供のレッスンほど重要なものはないのではないでしょうか?

小さな子供のレッスンを行っている教師たちの責任はとても大きく大変重要なのです。

 

現在の私のレッスンは、どんなに上手い生徒に対しても、皆等しくロシアの子供の教材で徹底した1音の出し方から、簡単なフレーズをどう作るか?ということを行っています。そこまで戻らなければならない重要性をひしひしと感じております。その基礎なくしては、どんなに難しい作品に取り組んだところで、ピアニズムのない、情緒のない、ただただ上手い演奏にしかならないのです。







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