最近のレッスンにおいて、当初はテクニックの基礎を学ぶ目的で生徒の多くにモーツァルトの作品を弾かせていました。モーツァルトは古典を代表する作曲家の1人であり、絶対に通らねばならない道でもあります。
そして、テクニックの習得の目的で選んでいるモーツァルトの作品たちから、連日モーツァルトを聴いていて感じるのは、モーツァルトの音楽の持つ特徴の1つです。それは、私にとっては人生そのものともいえる「はかなさ」なのです。
それを最も演奏で具体化に成功している、いや、おそらく意図的ではなく無意識のうちに行っているのかもしれませんが、私は内田光子氏の演奏するモーツァルトに「はかなさ」を感じます。しかもそれは非常にさりげなく、瞬間的に見え隠れする、聴いている私がうっかりすると聴き逃してしまうほど、ほのかに香る程度なのです。
「はかなさ」とは例えば、桜の花がすぐに散ってしまうところに象徴されるように日本人の美意識の特徴の1つでもあると、元首相で今は芸術の世界に生きる細川護煕氏の著作の中でも述べております。皆さんもご同感されるのではないでしょうか?最も日本的を象徴する言葉であると思います。
あらゆる意味において日本の美学とは対照的な西洋音楽の作曲家であるモーツァルトの音楽に、日本的ともいえる「はかなさ」が存在するということに、私はモーツァルトの天才的な一面であり、洋の東西を超えた、また時間を超えた、人間の本質、魂の叫びが存在すると思った次第です。人生とは「はかない」ものなのです。
ぜひ、生徒たちには、ただの技術の習得というだけにとどまらず、このモーツァルト特有の感受性に気が付いてほしいと思います。
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