倍音という言葉から連想されるのは、倍音です。(笑)
音のどこが倍音なのか?自分は聴こえているのか?聴こえているつもりなだけか?疑問に思われる方も少なくないと思います。
英語では倍音のことを、ハーモニック・サウンドと言います。
どうでしょう?
連想しやすいのではないでしょうか?
つまるところ、1音を鳴らしたときに、耳を澄まして聞いてみると、他の音の響きも同時に聴こえる状態になってこそ、倍音が豊かに鳴っていると言えるのです。
そんなの聴こえないよ!という方がいらっしゃるとすれば、それは倍音が少ない打鍵なのです。
一般にプロの音と言って専門的に教育をされるほど、倍音が少ない音が求められているのです。難関大学の出身の方ほど、そういう教育をし、されていると感じます。このことは、ピアノという楽器に限られたことのようで、弦楽器や管楽器、声楽の世界では倍音を生み出すことが当たり前であり、それを求められないピアノの世界の現状が私には残念に思われます。
私の思う理想の響きは、今さらながらですが、音の核がしっかりありつつ、豊かな倍音が膨らんで同時に存在する響きです。ですから、ただ柔らかいだけの浮いてしまった音とは違います。ちなみに、この響きを出してこそ初めてレガートができるのです。
その倍音が含まれる響きを生み出してこそ、倍音が多くない演奏では聴こえなかった空間を生み出すことができます。まるで目に見えるかのごとく響きが空間を作るのです。それにより、作曲家が楽譜には書き表せなかった、書ききれなかった要素を実際の響きで表現できるようになるのです。
音楽はただ弾いただけでは聴こえてこない何か(Something)重要な要素を聴衆に聴こえるように演奏する藝術であり、そのために倍音の役割は必然であり、その存在はとても大きな働きをします。その何かがなくては、演奏家と聴衆の真のコミュニケーション、作曲家と演奏家の真のコミュニケーションは成立しないと思います。それに、その何かがない演奏では、ただの楽譜通りの演奏になってしまい、それでは、まるで楽曲解説の講義を受けているような演奏です。演奏家の使命は、作曲家の書き残したものを手掛かりに、それを大切にしながら、書かれてある以上の何か重要なことを再現する、聴衆に伝えるべきだと思います。
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