最近の接客では、マニュアル通りにしか受け答えしない場合が多いように感じます。なぜなら、その方が都合が良いし、いざという時に困らないからです。要するに無難で安全なわけです。そんな対応をされたときに私は何とも言えない気持ちになります。皆さんも同じご経験をされているのではないでしょうか?

 

そこには、血の通った人の心が感じられないからではないでしょうか?

 

演奏も同じことが言えると思うのです。素晴らしく達者に弾いていますが、そこに血の通った人間が弾いているのではないと感じさせてしまう演奏です。

 

確かにマニュアル通りに、ある意味ではだれも文句のつけようのない演奏、狭い意味、悪い意味でのアカデミックな演奏があります。そんな演奏に限って、減点できませんから、コンクールや試験で良い点が取れるのです。それは無難な演奏とも言えるでしょう。

 

特に若い人は、無意識のうちにそのような演奏を目標としてしまっていることに気が付かない人がいるのは仕方がないことなのかもしれません。誰だって良い点がほしいからです。

 

でも、果たしてそれが芸術でしょうか?弾いている本人も気が付いていないでしょうが、心からの喜びを演奏という行為に見出してはいないのではないでしょうか?要するに楽しみを知らない演奏ですね。

 

マニュアル通りの演奏をし、マニュアル通りに生きた方が無難な人生が待っているのかもしれません。人並みの幸せな人生を送ることができるでしょう。

 

しかし、芸術家としての人生はそれでよいのでしょうか?

 

後世に残る、演奏、指導法などは、決してそんなマニュアル通りの枠に収まるものではありません。

 

人が感動する演奏には、語弊がありますが、万人に受け入れてもらう必要性のない個性が存在するのです。

 

そのリスクを恐れていては、良いものはできないでしょう。




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