生徒、吉永哲道の原稿です。私のことはともかく、ゴルノスタエヴァ先生のお言葉が印象的です。



『学び続ける事』

2015年1月19日、私が11歳 の時に初めて日本でお会いして以来モスクワ留学から帰国するまで、18年に亘って師事したヴェラ・ゴルノスタエヴァ先生が亡くなられました。

突然の訃報に呆然自失となり、その後も、先生のご逝去の実感が全く湧かないまま時を過ごていましたが、9月末にモスクワへお墓参りに行った事で、ようやく自分の気持ちに一区切りがついた思いでいます。

「音が響いていない!」
「貴方の音には、音色がない!」
「一音でいい、人の心に響く音を出しなさい」

18年の間、幾度先生がおっしゃられた事でしょう。
そして正直なところ、私は留学を終えて帰国する時にも自分の音には満足していませんでした。
ヴェラ先生の音と自分の音は、明らかに何かが違う。そして例えば…演奏会で聴くミハイル・プレトニョフの音。音楽も響きも、何もかも次元が違う。
どうしてだろう?
どうして…いや、これが恐らく、世間一般で言う才能の違いなのだろう。
恥ずかしながら、その様な思いのまま、日本での仕事をスタートさせたのです。

大野先生に演奏をお聴き頂いたのは、丁度そんな頃でした。その日の事は、今も鮮やかに脳裏に刻まれています。

私の演奏を一通りお聴き下さった先生はこうおっしゃられました。
「君はよい音楽家だと思う。音楽もよくまとまっている。でもね、こういう音もあるんだよ。」

そして奏でて下さった一音に…私は言葉を失いました。
その、まさにたった一音で人の琴線に触れる響きに。
そして、思ったのです。
自分は、再び学ぶ機会を与えられたのだ。何という幸運だろう、と。

「なぜエベレストに登りたいのか」との問いに、「そこにエベレストがあるからだ」と答えた登山家がいたそうですが、これは学ぶという行為にも通じる事ではないでしょうか。
ただ一心に良い響き、音楽を求める"-その心こそが学びの姿勢の原点であり、学び続ける事にプロフェッショナルやアマチュアと言う境界はない。私はそう思うのです。

吉永哲道





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