最近、ふと思ったことで、以前の章の内容と重なる部分もありますが、世の中のピアニズムは「粒をそろえる」と「粒をそろえない」の両方が存在しているとも言えます。

 

私の個人的な印象ですが、ロシアのピアニズムは「粒をそろえない」に基づいている、確固としてその主義主張を持ったピアニズムであると感じます。

 

それ以外のドイツやフランスにおいても、中には「粒をそろえる」のもと、演奏している方もいらっしゃいますが、多くの方は、粒はそろえないのが良い、音楽的であると思っていると思います。

 

しかし、ハノンのスケールやアルペジオ、半音階などでは、粒をそろえるのが良いという矛盾していることを行っているのです。

 

私からしてみると、そのようにスケールが弾けたとしても、実際に、例えばモーツァルトのコンツェルトで使えるタッチではないと思います。

 

要するに粒をそろえることと、粒をそろえないことが区別できていないとでも申しましょうか。その矛盾にご自身も気が付いていない。首尾一貫していないのが現状と言わざるを得ません。

 

「粒をそろえる」というものと「粒をそろえない」というものは、正反対に位置するものですが、どちらかに徹するべきだと思いますし、私個人としましては、「粒をそろえない」を支持、主張したいと思います。





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