ピアノを弾く時の姿勢についてお話ししたいと思います。古い言葉に「居住まいを正す」と言いますが、いわゆる「姿勢を正す」という意味でつかわれてきた言葉です。

 

私は言葉の専門家ではありませんので、詳細は存じ上げませんが、この「居住まいを正す」という言葉、なんとなくではありますが、姿勢を正すという意味はもちろんのことですが、使われている漢字や日本語の意味から、私自身は身体を指し示すだけではなく、心の持ちようとか、生きる心得とか、物事の受け取り方など幅広い意味があるような気がするのです。

 

ですから、ここでは、あくまでも身体的な姿勢についてのお話なのですが、実はもっと幅広く、例えば、音楽に向かう心得とでも言いましょうか、生きる心得とでも言いましょうか、そのようなことまで含んでお話をさせていただきたいのですが、敢えて、ここでは身体的なことについてお話しします。

 

昔から、小学校に入学しますと、全校朝礼では正しい姿勢で立ち、授業は正しい姿勢で座って受けるように注意され、矯正されます。いわゆる背中がまっすぐ伸びた状態ですね。しかし、実はこの姿勢、身体的に安定した状態かと思いきや、結論から申して身体的に不安定な姿勢なのです。

 

昔の武士の刀の構え方は、聞くところによると、足の裏の支点は、かかとではなくつま先にあり、上半身を支えるのは背中ではなく「丹田」とよばれるおなかのへその近くであったそうです。そのように構えてこそ、身体的に安定し、腕や肩は脱力した状態になり、素早く刀を振ることが出来るのだそうです。

 

実はこれ、ピアノの弾く時の姿勢にも全くあてはまるのです。

 

意外かと思われますが、昔から背中を正して弾きましょうと習いますが、それでは肩や腕に力が入ってしまい、腕の重さも使えませんから、指の動きの比重が多い状態で弾かざるを得ないことになってしまいます。いわゆる古くからある「指弾き」です。

 

それではどうするのが良いのでしょうか?

 

まず足裏の支点は、もちろん、かかとにあるのですが、実は足の指先にも同時に支点を感じ、少々前のめりな状態にします。

 

そうすると必然的につま先に重心が比較的来ますので、太ももから膝、ふくらはぎにかけて、ある種の踏ん張った緊張状態になり、足はだらだらとしなくなります。その支えがあってこそ、次に座るおしりと椅子の関係が理想的な状態になります。私の場合は椅子は高めにし、浅く座り、少々前に重心が来るようにします。

 

そして、腰から背中は後ろに引くのではなく、つまり弓なりに反らすのではなく、むしろ背中を丸くします。そうすることにより、上半身の重心が背中側ではなく、上半身の前の方にきて、いわゆる、おへそのあたりの「丹田」で上半身を支えます。

 

そして、背中にある肩甲骨の間の筋肉を緩め、肩甲骨の間を開き、肩が緩んだ状態で、少々肩を前に移動させます。それにより肩の脱力がしやすくなります。まるで猿が手を突きながら歩いているような状態です。

 

肩が少々前に来ると、腕全体も身体に対して少々前に突き出ます。その時に肘を内側に少々回転させます。そうすると必然的に1の指が少々前方に移動し鍵盤のふたの方、鍵盤の奥の方に配置します。そうすると手のひら全体が逆ハの字のような斜めの状態になります。

 

このひじや手の位置が基本になると、鍵盤の上に手のひらを載せただけで、5の指に自然に重心が来ることになります。これを私は「外側重心」と呼んでいます。

 

これは、基本的にロシアの伝統であるリスト・ジロティ派の系統のピアニストは行っておらず、どちらかというと少数派である(推測ですが、ジョン・フィールドの系統)、ネイガウス流派のピアニストに多く見られます。(100パーセント、全員ではありません)リスト・ジロティ派やドイツやフランスの流派のような一般的な構え方にしろ、「外側重心」の構え方にしろ、指の運動は必ず行いますが、リスト・ジロティ派の方が指の運動量が多いと思います。

 

例を挙げるとすれば、ロシアの中でもリスト・ジロティ派のテクニックはチェルニーのエチュードを弾く発想であり、それとは全く違うショパンのエチュードを弾く発想がネイガウス派と感じます。

 

次に首から上の頭の部分についてですが、例えば、首の裏側で頭を支えてしまいますと背中や肩甲骨に力が入りやすくなってしまいます。それを回避するために、私自身は目の横である、こめかみのあたりに、ほんの少々支点を意識しています。

 

以上、私の知る限りのネイガウス流派の姿勢の特徴です。言葉でご説明してご理解いただくのは大変困難なことですが、念のため、自分自身のためにも記しておきました。


ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村