どんな世界にでも、ほんものと呼べる人はいますし、ほんものと呼べる物はあると思います。

 

何をもって、その人にとって、ほんものと感じさせるかは、もちろん違いますし、違って良いと思います。

 

もちろん、私も私にとっての、ほんものと感じさせてくれる人物や物があります。

 

ほんものかどうか?をかぎ分ける嗅覚を養わなければ、ほんものかどうかは見えてきません。

 

私は、物心ついたときには、すでに絵を描いたり、音楽、特にピアノ演奏のレコードを聴くことが大好きでした。親から押し付けられることもなく、ただただ自発的に好きでそうしていました。

 

このブログでは、ピアノ演奏について、私なりのほんものと思うピアニズムをつづってきたに過ぎません。

 

何を申し上げたいのかというと、ほんものと思えるピアニズム、それは、その方によって違うと思いますが、私の思うほんもののピアニズムとは、ロシアの、しかもネイガウス流派のピアニズムだと感じるようになったのですが、そう思えるようになるまでには、もちろん最初の直観というものもありましたが、確信を持つことが出来るようになるまでは、膨大な時間とエネルギー、多くの書物やCDなどの音源、レッスンにおいての私の生徒たちとの共有した時間とエネルギー、そして多くのネイガウス流派の友人たちとの交流があってこそ、今の境地に至ることが出来ました。

 

今の私が、初めから存在していたわけでもなく、今挙げた事柄があったおかげで、今の私があります。

 

ほんものを知るという事は、生半可な気持ちで一石二鳥に簡単に達成できることではありません。もしかすると、多くの犠牲をはらわなければ到達できないことと言えるのかもしれません。あれもこれも手に入れようと思う人は、どんな世界においても、ほんものを見極める力、ほんものを手に入れることはできないと思います。

 

どんな分野でも、必ずしも世に広く知れ渡っていなかったり、日本ではなく外国で認められるほんものの人たちは多く存在するのも事実です。

どうか、読者の皆さんにも、音楽の世界だけではなく、広く、ご自身なりのほんものを見つけてくださることを願っております。

 

私は、間もなく50歳になろうとしていますが、よりほんものを知りたくて、広く世の中を見渡したく、千住博氏、白洲正子氏、ダライ・ラマ氏、美輪明宏氏、北野武氏、小林秀雄氏、斎藤秀雄氏らの著作、そして日本の古典文学である万葉集をはじめとする文学から森鴎外、夏目漱石、太宰治、芥川龍之介らの近代文学を少しずつ読んでみています。

 

もっともっと、ほんものを知りたくて、ただただ実践あるのみです。



ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村