ある演奏に、たった1音でも、その音(響き)が存在したがために、人は感動するかもしれません。
もしかしたら、それは奇跡と呼べる、偶然なのかもしれませんが、その何とも形容しがたい美の極限ともいえる1音にときめくことがあります。
私は最近よく思うのですが、結果として出た、その1音に対して、愛を持っていると感じることがあるのです。その音をいとおしいとさえ思います。もしそれが、他者の誰かの演奏であった時、その1音を超え、結果として、その演奏全体、そして、演奏者そのものに対する愛が存在するという事に気が付きました。
読者の皆さんは、ご自身が1音を弾く時に、愛と呼べるかもしれない、ある種の思いを込めて弾いていますか?
結果として、自ら導き出した音に、1音でも愛を持つことが出来ますか?
1音に愛を持ち、なおかつ、その作品そのものや、それを作った作曲家対して、愛を持って向かっていますか?
ピアノという楽器に対して、愛を持って接していますか?
このことは、ピアノを弾くという行為、音楽をするという行為だけにとどまるわけではなく、自分以外のすべての世の中の存在や事柄に対して、愛を持って接するということを意味し、通ずることだと思うのです。
そもそも芸術というものは、自らが愛をもって歩み寄らなければ近づけない、ある領域には到達できないないほど、非常に崇高なものです。
そこには、すなわち歩み寄るという事は、愛なくして歩み寄れないはずなのです。これをすると良いから、点数がとれるからという低レヴェルな気持ちだけで、その作品やピアノを弾いてはいけないのです。
思うに、特に若い学生たちの生徒の演奏を聴いていますと、愛をもって弾いているように感じられないことがしばしばあるのです。そもそも若いうちはだれしもそうかもしれませんが、愛を与えることよりも、愛を欲することに偏りがちです。
そのような意識で弾く奏者に対して、作品やピアノという楽器は何も答えてくれないと思います。愛をもって歩み寄る奏者に対してだけ、音楽や楽器は、微笑み、愛をもって答えてくれると感じるのです。
もし仮に、あなたが自分自身に対して、自分はテクニックがないから上手く弾けない、作品や楽器が答えてくれないと感じたとすれば、それはあなたの方に問題があるのです。
その作品や音楽、楽器に対しての情熱と愛を持ち続けられ、モチベーションを保って気長に精進することが出来れば、テクニックの不足はもとより、音楽そのものがあなたに歩み寄ってくれ、どんな困難なことも必ず乗り越えられると思います。
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