昨夜からガヴリーロフの色々な録音を立て続けに聴いた。
今はもう録音を聴かなくても、頭の中で響きが再現されている。
その細い基音と豊かな倍音を聴き続けていると、他のピアニストの響き、例えばプレトニョフでさえも響きが太く聴こえてしまう。
ガヴリーロフは当然の事ながら、響きが見えているのだろうと思う。
YouTubeでスクリャービンのソナタを聴いていると、演奏開始30秒あたりで、彼は響きと共に天を仰いでいる。
もしかすると官能がそうさせているのかもしれないけれど、私には高く響きが飛んでいくのを見上げているように見える。
この頭の動きが示すように、ガヴリーロフの響きは打鍵直後にはもう頭上へ飛んでいる。
弧を描いて飛んでいくのでもなく、漂うようなものでもなく、弦より下に沈む事は決してなく、放たれた響きは全てスーッと天に向かって真っ直ぐに昇っていく。
指の動きや打鍵はとても静かなのに。
うっかりすると見逃しそうな(世の中では聴き逃しそうと言うのかも)ぐらいのスピードで頭上に伸びていく。
響きの中に余分なものは一切ない。
基音は究極に細く、不用意に他の響きと混ざり合う事はなく、一つ一つの響きが凛としていながら美しいハーモニーが生まれる。
太くたっぷりとした響きに安らぎを感じる方や、人間み溢れる演奏が好きな方には、彼の響きは一見(一聴)すると厳しい響きに聴こえるかもしれない。
その倍音は人間界で自我と言われるものは一切含まず、何者も寄せつけず、生まれた瞬間に無菌のまま真空状態で天まで届けられるよう。
雲の切れ間から射す光の真っ直ぐな筋を「天使の梯子」というらしい。
彼の響きは、その光の筋の中を真っ直ぐに昇っていくように見える。
究極に研ぎ澄まさたその響きと共に天上へ連れて行かれると、響きと共に昇った者にのみ見える世界がある。
まるで、神に捧げる響き。