大野ピアノメソッド講師の1人、吉永哲道からの趣味の大人の方へのメッセージをFacebookに掲載させていただきましたものを転用させていただきます。

【講師からのメッセージ(吉永哲道)】

『倍音の魅力』

普段余り活字を読む習慣はないのですが、出歩く時などよく鞄に文庫本をしのばせています。そのよく持ち歩く(よく読むのではありません・笑)本の一冊に武者小路実篤の詩集があるのですが、その中に「私はかきたい」という1篇があり、以下はその抜粋です。

私はかきたい
詩がかきたい
誰にもわからない
詩がかきたい
そしてそれを
そっとしまっておきたい。
(中略)

私は梅の香のような
詩がかきたい
春の日がおとずれてくるような
詩がかきたい。

私は理窟からのがれ出て
そして香気のある
あたたかい
詩がかきたい。

私は小さい
小さい画(え)がかきたい
それは宝玉のように美しく
かがやき出る画がかきたい。

私は無邪気な
すなおな
なんでもないような
そのくせ見れば
見る程すきになるような
画がかきたい。
(中略)

何事もおぼろに見える
月の夜に
一人さまようような
詩がかきたい。
(中略)

私は白日のもとに
赤裸々になっても
それでも何か
不得要領な処(ところ)をもっていたい。

ぼうっとつかみ処のないもの
私はそれがへんに好きだ。
(了)
(亀井勝一郎・偏/新潮文庫)

私は時々、この「詩」という言葉を「音楽」或いは「響き」に置き換えてみるのです。

梅の香のような響きとは?
春の日がおとずれてくるような音楽とは?
理窟ではなく、ただ聴き手をその香気で魅了する響きとはいったい何なのだろう?
小さくとも宝玉のように美しくかがやき出る音楽?
聴けば聴く程魅了される音楽…。
何事もおぼろに見える月の夜に、響きそのものがさまよっているような調べ(音楽)とはいかなるものなのだろう?
そして、実体のないつかみ処のないもの…。

メソッドで学ばれている方ならばこの響きの正体が何であるかは自明の理である事とおもいます。
そう、理屈でなく聴き手の心に忘れ難い印象を残す倍音の響き。

詩人も、音楽家も、理屈では解明できないものに心を奪われ、何とかその神秘に迫らんとしているのでしょう。

もっと美しい音で弾きたい。
身体に負担をかけず、長く、長く、音楽を楽しみたい。
ご自身の中にそのような欲求が生まれた時から、ある意味残酷な事なのですが、その域に到達する為の長い道のりが始まります。

けれど、けれど、私は思うのです。
ご自身の中でよい響き(ご自身が手にしたいと願う美しい響き)に対する興味と欲求が枯渇しない限り、ペースに個人差はあれど人は必ず進歩していくものだと。
メソッドで学んで下さる皆様が、例え何年かかろうと「これが私の音」という響きを発見、手にして下さるならば、末席ながらメソッドに携わる一講師としてこれに勝る喜びはございません。
皆様の行く先に、どうか素敵な音楽が鳴り響いていますように。
心からの願いを込めて。






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