昨日のレッスンでのことです。曲はブラームスの4つのバラード作品10です。
この曲は1曲目こそ誰もなら耳にしたことはあっても、後ろに行くに従い、特に第4番などは、難解で印象に残っていないという方も大勢いるのではないでしょうか?何を隠そう、私自身がそうなので、皆さんも同じかな?などと思ってしまうのですが。
レッスンの時には、楽譜を見ながら生徒の演奏を聴いていましたので、作品の構造もよくわかり、演奏も非常に思慮深く、感性溢れる、藝術的な意味で高度な演奏でしたので、退屈するどころか大変興味深く聴くことが出来ました。
その生徒は、リサイタルでこの曲を弾くという前提でレッスンに持ってきたのですが、そのような状況の下、そのような演奏で果たして良いのか?と思ったのです。
1つ頭に思い浮かんだことがあります。私はこのブログを書く時に、もちろんレッスンにおいて生徒に説明するときにも心がけていることがあります。それは、難しいことを言いたい、書きたいときに、難しい言葉で説明するのではなく、なるべくわかりやすい易しい言葉で説明するということです。どなたがこのブログを読んでも、1度目を通しただけで私の言いたいことが伝わるよう心がけています。
演奏においても、同じことが言えるのではないか?と思ったのです。
ブラームスの4つのバラード、特に第4番は漠然と聴いているだけでは、わかりづらい作品だと思うのです。ですから、その作品がどんなに素晴らしくても、ブラームスの才能に満ち溢れているとしても、そのことが聴衆に伝わらなくては意味がないと思うのです。
もちろん、どのような聴衆を対象として弾くかという場合にもよりますが、作品によっては楽譜なしに理解することが困難な芸術作品もあると思うのです。
そのような場合、演奏家は聴衆に対して、少しでもわかりやすく弾く努力をすることは決して間違ったことではないのではないか?と思うのです。
方法としては、和声の進行に則ったテンポルバートの加減やそれぞれの声部のコントラストをより明瞭にするのです。
演奏は時と場合により、違ったものになるべきかと思った次第です。
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