あるレッスンでのことです。曲はシューマンのプレストとヴァーグナー=リストの「イゾルデの愛の死」です。2曲とも、同じ音型が移動しながら幾度も繰り返されたり、ポリフォニーの要素が多々あるという意味では、ある意味似た作品だと思います。

 

同じ音型が和声を変化させながら移動する場合、その和声によって手のポジションが変わり、例えば右手の5の指などはそのときによって白鍵だったり黒鍵だったりします。それにより、5の指の鍵盤に対する乗り方、角度や重さのかけ具合が変わってしまいます。よって私の家の楽器では意図しない想定外の響きが出てしまうのです。例えば、押しつぶしたような響きになってしまったと思えば、かすれたような響きになってしまったり・・・。

 

またポリフォニーの部分では、当然それぞれの声部は別の色でなくてはならないのですが、その弾き分けがなっておらず、どちらの響きも同じ色で、なおかつ倍音が上に上がらないという状態に陥ってしまったり・・・。

 

ふと思ったのですが、その生徒は普段、家では日本製の楽器で練習しているのですが、おそらくそれが原因なのかもしれないと思ったのです。または調律も関係すると思いますので、原因はそれかもしれません。

 

要するに、どのようにタッチしてもある種の美しい響きが出てしまう状態の楽器なのです。多少、ポジションによって指の角度が変わろうが、重さの乗り方が変わろうが、音がつぶれたり、かすれたりはしない楽器だと思います。

 

このことは、ある意味で非常によくできた楽器であり、多分多少の誤差があっても美しい音で鳴ってくれるので、弾き易いと思うのです。

 

しかし、このことが災いしてしまい、普段の練習においてタッチが変化してもある種の美しい音が出てしまうということにより、本人が美しく弾けていると錯覚してしまう危険があると思います。

 

このことにより、私は一体何を持って素晴らしい楽器なのか?もしくは調律なのか?ということを考えさせられました。

 

弾き易い楽器、もしくはそういう状態の調律が本当の意味で良い楽器、良い調律とは限らないのではないでしょうか?

 

私個人の見解としては、ある意味では弾きづらい楽器と感じてしまうほど、微細なタッチの変化も現れてしまう楽器の方が弾き易いと感じますし、また好みます。

 

普段、生徒が自分の家でどういう楽器、もしくはどういう状態の調律で練習しているのか?ということを考慮したうえで、慎重にレッスンをしなければならないと思いましたし、生徒の側も私の家の楽器で弾く時を想定して練習してほしいと思った次第です。




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