高校生の弾くベートーヴェンのソナタを聴いていて思ったことです。その演奏から感じられるのは、作品に対するその生徒なりの人生のレベルで真摯に向かい合っていること。ですから聴いていて非常に好感が持てます。よく言うならばフレッシュな印象でしょうか。しかし、まだまだ高校生ですからベートーヴェンの中期のソナタなど本当の意味では理解できない部分もあり、それは当然のことと言えば当然で、作曲した当時のベートーヴェンの精神的レベルには到底及ばないわけですから、それはそれで良いと思います。

 

そのような演奏に対して、同じく高校生でも、一方ではより説得力を持って隅々まで神経が行き渡る、すきのない演奏ができる人もいると思います。当然、試験やコンクールなどではそのような演奏の方が良い点が付くはずです。素晴らしいと評価されるでしょう。しかし、私はそのような演奏に対して疑問を持ちます。確かに素晴らしいけれども、何か根本的に違和感、場合によっては失礼ながら不快感さえ感じるのです。

 

なぜそのように思ってしまうのか、自問自答して出てきた答えは、まず後者に述べたような優秀な演奏には、今後の伸びしろを感じることができません。高校生でそんな演奏なんてできなくてよいと率直に思います。そのような演奏をする若い学生はある意味で出来上がってしまっていて、それ以上にはならないと感じてしまいます。

 

それに加えて思うことは、そのようなタイプの演奏をする学生は、感性で弾いているというよりも、情報処理をしている演奏のような気がします。芸術は学校の筆記試験とは違い、情報処理能力が優れていてもだめだと思うのです。芸術というものは、時間が絶対的に必要であり、長い時間をかけてじっくりと熟成しなければ出来上がらないことで、次から次へと素早く正確に情報を処理して行く、正しい答えを出していくこととは根本的に違うと思います。

 

原因を考えたときに、1つはどのようなレッスンを受けて育てられてきたかが大きく関係しているように思います。教師が事細かに隅々まで指示を与えてしまうようなレッスンをしてしまい、そのような受動的な感覚でレッスンを受けるのが当たり前で、自分で悩んだり考えたりしないで曲を作ってしまう、そして、それがうまく素早くできる生徒は教師も可愛がるというパターンに陥っているのではないでしょうか。

 

まだ若い学生で、ある意味では優秀な演奏ができる学生の多くはこのようなタイプに属してしまうことが多いのかもしれません。また、もしかしたら、生まれながらの性分として、頭脳で弾いてしまう感覚の方が感性で弾くよりも勝ってしまうタイプの人もいるのかもしれません。いずれにしましても、教師というのはその生徒のタイプによっては教えるということが大変に難しいことであると思います。





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