およそ200年前にショパンはショパンのピアニズムでピアノ弾き、教えていました。多分、ショパンのように名前は残っていなくとも、それなりの数のピアニストが同じような奏法で弾いていたでしょう。おそらくは、ショパンが手本としていたイギリスのジョン・フィールドも、彼のノクターンの楽譜を見ていても、同じ空気を感じます。
それに対してドイツのピアニズム、代表的な教則本を残したチェルニーが象徴的ですが、チェルニーのピアニズムというものがあり、ショパンはチェルニーのピアニズムを批判していたということが文献に残っています。
私が申すまでもなく、ドイツのピアニズムはチェルニーのピアニズムであり、日本のピアノ教育現場での主流になっています。
それとは別にフランスのピアニズムというものもあります。詳細は存じ上げませんが、どうやら、バロック時代のクラブサンという楽器を扱う古楽器の奏法を根源とした、石造りのサロンで弾くのに適した奏法のようです。
例えば、音符の配置から感じられるのは同じフランスでも、ドビュッシーとラヴェルでは異なり、ドビュッシーがショパンのピアニズムでラヴェルはフランスのピアニズムでピアノを扱っていたように感じます。
ロシアのピアニズムは、その流派にもよりますがチェルニーのピアニズムの範囲で美しい響きを追及したピアニズム、チェルニーとショパンのピアニズムを合わせたようなピアニズムが大半であるということがだんだんわかってきましたし、ショパンのピアニズムの流れを継承しているピアニスト、ピアノ教師の数は、実は少数に限られていると感じます。ロシアと言っても一括りにはできないということを感じます。以前から申してますように、ロシアで教育を受けていなくとも、マルタ・アルゲリッチやラン・ランなどはショパンのピアニズムを継承していると思います。
要するに世界的に見て、ショパンのピアニズムの流れを継承しているピアニストやピアノ教師の数は、非常に少ないと感じます。
何故ショパンのピアニズムが広まらないのでしょうか?200年以上前から考えられ実践されているにもかかわらず。
私が感じるのは、逆に何故チェルニーのピアニズムが広まったのかということです。なぜならば、チェルニーのピアニズムの奏法の方が、人が鍵盤に触れるという行為を考えたときに、自然に思いつく行為であり、それゆえ、教えやすくもあり、言葉は悪いのですが単純なのです。
それに比べて、ショパンのピアニズムは人の体が優先されるのではなくピアノという楽器が主体に考えられ、いかに扱うことによって美しい響きが出るのか?ということを追及し、その結果として身体の観点から考えたときに、少々複雑な使い方をしなければならず、と言っても実は体にとって不自然なことはしませんが、それゆえ、教えるのも面倒なことですし、教わるのもおそらく大変なことゆえ、200年以上の歴史があるにもかかわらず、世界中に大きく広まるということがなかったと思いますし、これから未来を考えても、おそらく大きく広まることはなく、ごくごく一握りのピアニストやピアノ教師に継承されていくことだと感じます。
それゆえ、私はロシアピアニズムの教師というより、ショパンのピアニズムの教師と言った方が良いのかもしれませんし、同じくこのブログも「ロシアピアニズムをつぶやく」というより「ショパンのピアニズムをつぶやく」と題した方が良いのかもしれません。
にほんブログ村