昨日、私ども大野ピアノメソッド主催でマキシム・モギレフスキー・ピアノリサイタルを紀尾井町サロンホールで行いました。

そうですねー。ものすごい演奏でした!!!
ゲンリッヒ・ネイガウスーレフ・ナウモフーマキシム・モギレフスキーとしっかり受け継がれた伝統、ピアニズムを感じました。ピアノの音というものは減衰するものではなく膨らむものであり、それゆえ、色とりどりの色彩感が出て、よって想像性にとんだものとなる。まさに額縁のない演奏。ピアノという楽器が持つ可能性を最大限に引き出した演奏でした。

チャイコフスキーに始まり、スクリャービン、リスト、ラフマニノフ、アンコールに先ごろ韓国での客船沈没事故の犠牲者に捧げられたバッハで締めくくられました。

とにもかくにも、彼の演奏会を行ってよかったと心から思います。このブログをご覧くださる皆様にも、是非聴いていただきたかったと心から思います!本当にものすごいピアニストです!
もっともっと、評価されるべき演奏家です!

また、私の友人であり英検1級の村上雄介氏の昨日の打ち上げでのマキシムとの雑談を村上氏のメモから引用させていただきます。非常に興味深い話です。


- ラフマニノフの3番コンチェルトのカデンツァは2種類あるが、実は作曲家自筆の3つ目のカデンツァがある。ただしプライベート所有で、出版されていないため、誰も楽譜を持っていない。クレショフが目撃しているとのこと。いずれ世の中に出るのでは。
- ラフマニノフの3番には、あちこちに ossia があり、どこか ossia で弾くなら、全部他も ossia を弾け、という教授がいる(誰だったか)
- ラフマニノフの子孫が保有するプライベートコレクションがスイスにあるのだが、その方の死後コレクションは危機にあり、マツーエフがプーチン氏にロシアで買い取るようにと進言したとのこと。既に買取は成立したらしい。
- ラフマニノフは2番の協奏曲を精神科医に捧げたが、実は精神科医の娘が美人で憧れていたらしく、密かに彼女にも捧げられている。
- 1964年のエリザベートで、モギレフスキーとペトロフは同点だったが、最終的にはギレリスの一票にまかされて、モギレフスキーが1位になった。そのことは、ギレリスが生きている間は公開されなかった。
- 1964年のエリザベートは、実はアルゲリッチも出場していたが、妊娠中であるため、ファイナルを辞退した。
- クレショフはあまりに勉強しなかった(?)ので、1度はモスクワ音楽院を追い出されたが、たまたま地方巡業中のペトロフが発見し、モスクワに戻した。
- スタニスラフ・ネイガウスは最後のコンサートの2日後に、摂取してはいけないアルコールを摂取したことで亡くなった。
- スタニスラフ・ネイガウスの奥さんは、LFJによくくるブリジット・エンゲラー(だったかな)
- ラフマニノフとスクリャービンは、アレンスキーについていたが、スクリャービンは受け入れられずに追い出された。
- 当時6歳のリストも、パリの音楽院で、「才能がないから」という理由で入学を断られた。
- ギレリスの娘(エレーナ)は、モスクワ音楽院の入学を断られ、その理由でギレリスは音楽院を去った。

というような内容で、とても楽しい時間があっという間に過ぎ去りました。

今日は、いよいよ我が家においてマスタークラスが行われます。これもまた、非常に楽しみです!!!





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