人は美しいものに触れると理屈なしに嬉しいはずです。

 

日々、レッスンをしていて美しい響きのシャワーを全身で浴びることができたときほど嬉しい瞬間はありません。身体全身の細胞が喜んでいるかのように感じます。生徒たちの演奏を聴いていて、1音でも極上の響きが出た瞬間に私の心は揺さぶられるのです。

 

芸術に携わるということは、言い換えるならば、美への探求、美への永遠の興味と言えると思うのです。

 

現代のピアノという楽器は、ほぼ完成されたといっても過言ではないでしょう。その楽器の持つ性能を最大限に引き出すことは、奏者にとって、やらねばならない必然的なことだと思います。

 

どうしたらピアノという楽器の持つ美しさを最大限に引き出すことができるのだろうか?ということは、私にとって永遠の課題であり、終わりはありません。この約25年間の美しい響きに対する探究によって、今現在の私が出せる響きはそれなりにあると思えますが、5年、10年先には、もっともっと美しい響きが出せていたらと思います。

 

例えば、グレゴリー・ソコロフというピアニストの演奏を聴いていると、演奏解釈がうんぬん以前に、磨き抜かれた美しい響きで作品を演奏します。ソコロフの求める美意識ゆえの演奏だと思います。彼の演奏を聴いていると、あまりの美しさにただただ呆然となってしまい、音楽的解釈などどうでもよく、こんなに美しい音で弾いてくれるのならば、どうぞお好きに弾いてください!と申し上げたくなるほど、その世界は究極の美で満たされていると感じます。

 

もし、このブログを読まれている方の中で、ご自身の演奏において、本当に美しい響きで弾いていると心から自信を持ってご自身で思えるとすれば、そしてご自身で満足しているのであれば、それはそれで、ある意味幸せなことだと思います。

 

ただ、世の中には、ソコロフのように超一流の美しい響きを持った演奏をする人もいるのが現実であり、上には上がいるのです。正直、未だ日本人ピアニストの演奏から、ソコロフ級の美しい音を聴いた経験は残念ながらありません。私が知らないだけで、もし日本人ピアニストの中で、そのような方がいらっしゃるとすれば失礼をお許しください。

 

また、私自身の経験から、ソコロフとは違った極上の美しい響きを出すタチアナ・ニコラーエワ先生の響きをまじかに聴いてしまったが故、私自身はある意味では幸せではありますが、ある意味では不幸せでもあるのです。

 

すなわち、世の中には極上の美しい響きを現実に出せるピアニストがいるのにもかかわらず、自分がそれまで培ってきたピアノ人生など、それに比べれば全くのド素人のピアノ人生だったとさえ思ってしまったほどの経験をしたからです。

 

ニコラーエワ先生の1音を聴いた瞬間に、呆然となったのです。

 

その機会をきっかけに、私はロシアピアニズムへ本格的に傾倒して行くこととなりましたが、ロシアと言っても、何を持って美しい音なのか?は人それぞれであり、先の記事でも申し上げましたように、下部雑音がするしないということや、指のレガートか響きのレガートかということや、椅子は高いか低いかということや、上半身は背中で支えるのかお腹で支えるのかなどをはじめとする、テクニックや身体の使い方の違いも多種多様であり、それにより出てくる響きも違い、出来上がる音楽も違い、以前の記事にも掲載しましたが、「ロシア奏法」と呼ぶべき確立、統一された奏法などは存在しないということもわかりました。ですから、日本で広まってしまっている「ロシア奏法」という言葉を私は絶対に使いません。

 

ただ一つ、共通しているのは、美しい響きで声楽的に歌わせるということが特徴にあることであり、すなわち、美への探求であるということです。

 

美しい響きという点において、上には上がいるという、その現実に目を背けずに、日々追求を怠らないことが、日本のピアニスト、ピアノ教師たちにも必要なことの1つであり、大切なことの1つであり、この美に対する永遠の執着、探究というものは、ピアノ初心者からプロに至るまで、是非とも持っていただきたい意識なのです。






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