生まれ持って豊かで音楽的な才能があるならば、順風満帆に育てば素晴らしい音楽家になるに違いありません。しかし、そこには大きな落とし穴が待ち受けており、紆余曲折の苦しみを経てこそ、一人前の音楽家に成れるのではないでしょうか?
私は、最近ふと思う事があります。
音楽的な才能が人よりも抜きんでている生徒に限って、教えるというのは本当に難しいということをです。
我が家のバルコニーには、鉢植えの花木があります。毎年、1本ずつ枝を増やし、1本の枝に1つだけ花をつけます。1年ごとに花を増やしていくためには、1年ごとに鉢を一回り大きくしなければなりません。
その鉢を大きくして植え替えをするという事が、ふと、ピアノをやって行くことに似ているように思いました。
植え替えをするという事は、既にその鉢の大きさでは、根がいっぱいであり、それ以上に大きくは育ちません。その大きな鉢に植え替えるという事が、ピアノに置き換えた場合、生徒自ら、そこまで培ってきた様々な要素に及ぶ生徒自身の音楽をぶち壊し、新たに、初心に帰って再構築をしなければならないという事です。
自ら、自身の音楽をぶち壊すという事は、非常に勇気のいることであり、先に述べたような、人一倍音楽的な才能がある生徒に限り、自分の才能に執着してしまう傾向があると思うのです。残念ながら、私の今までの教師生活で多くの実らなかった豊かな才能を見てきました。
ピアノを弾いて行く、芸術家として生きて行くという事は、自信も必要ですが、自らを疑い、自らの音楽をぶち壊していく、そして新たに再構築していくという作業の連続なのではないでしょうか?具体的には、私が生徒に対して求めている響き、それは非常に理想の高い響きではありますが、それを手に入れたいと思うのならば、そこにはそれなりの犠牲が伴うということを、この20年間の教師生活の中で生徒たちを見てきて感じるのです。
逆から申し上げれば、自分の才能に執着してしまうと、今持っている物に、新しいことを付け加えて行くということになり、そのような心構えで、ピアノの世界で大成するほど、ピアノの世界はあまいものではないと思います。
持って生まれた才能など、正直、私からしてみれば、大したものではないと思います。それよりも、継続できる才能、自らを戒めることが出来る才能が、真に必要な才能だと思います。
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