つくづく思うことの1つなのですが、広くは芸術、そして音楽は究極的には官能性を帯びているべきであり、いわゆる「エロス」であるということです。
例えば、和声進行の持つ「エロス」というものがあると思います。もちろん、それを感じるか感じないかは人それぞれの感受性が受け止めることであり、作品のどこに「エロス」を感じるかは様々だと思います。
19世紀末に活躍した作曲家である、リヒャルト・シュトラウスやグスタフ・マーラーにそのことを見出す方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか?私にしてみれば、バロックの音楽である、ヨハン・セバスティアン・バッハの作品においても、「エロス」というものが満ち溢れていると感じます。
ですから、ピアノ演奏においても、「エロス」というのは存在するべきではないか?と思うようになりました。色々なピアニストの演奏で世の中は満ち溢れていますが、その演奏そのものに「エロス」が存在するピアニストに惹かれる私です。もちろん、考え方は様々ですから、私が思うに、敢えて「エロス」を排除する演奏家もいるように思います。しかし、私自身の過去を振り返っても、そのような演奏、そのような演奏家に惹かれることはなく、私は子供のころから、無意識に、音楽、演奏に「エロス」を求めていたように感じます。
そこには、音そのものに官能性を帯びた響きがまとわりついていなければならないということも、後々になってわかったことです。1音そのものが、何とも形容しがたいような、ある種の色気、官能性を帯びた倍音の響きがあってこそ、その演奏は官能性を帯び、「エロス」の存在する演奏となると思うのです。
このことは、本来、頭で考える理屈ではなく、感覚で捉えることであると思います。もちろん、音楽の様式感など知的な領域を無視するわけにはいきませんが、それを踏まえた上の感覚から生じる「エロス」というものが音楽には必要不可欠であり、それに人々は感動することが出来ると思うのです。
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