最近、私が気になっていることの1つに、演奏者の心の在り様が演奏に反映するのではないか?ということがあります。
ピアノという楽器は、一般に孤独との戦いと言ってもよいほど、練習時間が必要になります。楽器と自分という2者の存在の感覚のまま、それをそのまま舞台で行ってしまうと、聴衆の存在を無視した感覚、演奏になってしまうと思うのです。
このことは、練習時間に限ったことではなく、日常生活全般に及ぶと思います。
特にレッスンにおいて、教師と生徒の距離感が近く、お互いに心を開いている場合は良いのですが、ここでは近くない場合。それはお互いに心を開いていない関係においてレッスンが行われ、どう弾くか?といった演奏に対してのみコミュニケーションが存在する師弟関係が当たり前の環境で育ってしまった演奏者の演奏には、どんなに難曲を見事に弾けたとしても、それ以上でもそれ以下でもないという、心の琴線に触れることはない演奏になってしまうのではないかと思います。
まだ若い日本人のコンクール受賞者たちの演奏を聴いていて、特に感じることです。奏法や音楽的趣向は差し引いて聴くのですが、とにかく皆さん難曲を見事に弾き切りますが、それ以上の演奏に不可欠な何かが欠落している演奏に聴こえてしまうのです。このことは大きな問題ではないでしょうか?素晴らしく弾いているのに感動がない。何も訴えてこない。心の琴線に触れない。
そんな演奏が、そこらじゅうにあふれていると感じるのは残念でなりません。
その原因の1つに、私の過去の教師としての経験から、「心が開かれていない師弟関係」ということが思い当り、「心を開く」ということの重要性を感じることとなりました。
ですから、教師の側が、どのような考えの下、生徒を育てようと思うのか?ということは大変重要であり、教師次第で生徒の演奏は変わってしまう可能性があると思います。教師の皆さんはもちろんですが、教わる側の生徒の皆さんにも、ここで1つ考えてみていただきたいのです。
無意識のうちに、先生や周りの友人など、対人関係において、多分に自分の身を守るためだとは思いますが心を閉ざしていませんか?
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