ロシアピアニズムの奏法を教え始めて約20年、この間には私自身の求める響きや手の使い方など、紆余曲折があり、今に至っております。
今から思えば、昔は教えることに慣れていなかったのかもしれませんが、手の使い方をシステマティックにし、ある意味では単純化し教えやすいように教えていたように思いますし、どちらかというと、耳で音色を聴くという大切なことは後回しにしていたように思います。
もちろん、以前の章にも触れていますが、初めてレッスンを受けに来た生徒さんが、音色の聴き分けができる方が珍しく、特に専門的な訓練を受けた方に限って聴こえない傾向が強く(ここでは倍音をより多く生み出し、それを聴くことであって、聴音において使う聴き方、すなわち、基音を聴く訓練がされているため、倍音が聴こえないケースが多い)、それもあって、手の使い方から入るという場合が多くなり、手の使い方に限っても、その方により、その傾向は1人1人違います。
おかしな例えですが、医者が患者の症状により、どの薬を処方するかが違うことに似ていると思ったものです。私に教えてほしいという生徒さんは、ある意味で、現状から救ってほしいという方が多いので、医者に何とかしてほしいと思う患者と似ているようにも思います。
救いを求めてくる患者だとすれば、その患者に対して無愛想に、事務的に薬を処方していたら、その医者に対して不愉快に思う方も多いと思います。
だからというわけではなく、結果として、そうなっただけの話ですが、私の教え方は、その生徒さんの今、行っている弾き方に対して、真っ向から否定することもなく、その方にとって分かりやすい入り口はどこなのか?耳の響きに関してはどうなのか?ということをもとに、臨機応変に教え方を変えています。
昔のように、決まった教本など使わず、今練習している曲でレッスンを始めますし、それがもしショパンの作品ではないとしたら、その曲のほかにショパンのノクターンを何番でもよいので、それを加えていただき、レッスンを行っていくというやり方になりました。
それを例えるならば、登山をするのに、どのルートで登るのが一番無理なく登れるのか?を考えることにも似ていると思います。
冒頭にも申しましたが、システマティックに教える方が、教える側からすると教えやすいのですが、皆さんがその枠にはまるとは限りませんので、今の考え、形になった次第です。
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