先日、新しく人を介して生徒がレッスンを受けに来ました。



その生徒は、いわゆる一流(この表現は好きではありませんが)の音大を卒業をまじかに控え、これから新しい一歩を踏み出す決心をし、私のもとへ来ることとなったのです。



その演奏は、とても自然な音楽を感じており、才能豊かな、これから開花するであろう才能の持ち主で、人間的には、性格も非常に謙虚で、「学ぶ」ということの本質を知っている大変好感のもてる生徒です。



もちろん、期待など最初からしていませんでしたが、その生徒も例外ではなく、響きの聴きわけが出来ません。このことについて、私は驚きもしませんし、むしろ正直でよいと思ったほどです。逆に、私から言わせれば聴こえていないであろうはずなのに、聴こえますと言われても、正直、本人がわかった気になっているだけで、後々のことを考えると、聴こえないものは聴こえないと言ってくれた方が良いのです。



このことは、大変重要な問題であり、その生徒に限らず、残念ながら、殆どの音大生にも同じことが当てはまり、皆、自分は聴こえると思っているのです。でもそれは大きな勘違いであり、私の意味する聴こえるという次元とはかなり違います。(実は音大生に限ったことではなく、残念ながら多くのピアノ教師も含まれますし、かつての私もそうでした。)



それはそれとして、とにかくこれから必要なことは、その「聴く」ということが出来るようになること。そして、聴こえるようになったら、その響きを通して音楽をする、音楽を作っていくという、次の段階の演奏を目指さなければならないということの認識を持つことが必要になるということが確認できましたので、この先、一緒に頑張っていこうと思った次第です。



今回の件に限らず、一流だろうが、そうでなかろうが、日本の音大生の殆どは、音は聴こえていても、響きは聴こえない学生だらけであり、これは広くは日本だけではなく、本場、西ヨーロッパの学生たちの多くも響きは聴こえていませんし、また、多くの教育現場で、そのようなレッスンは行われていないのが現状に思います。



要するに「聴く」ということの意味の本質を理解している学生や、教師は世界でもほんの一握りなのです。



今までに私の門を叩いたプロの学生は山ほどいますが、その殆どは、最初から「響き」は聴こえないのです。ですから、1度来ただけで、何も得られるはずもないのですが、やめてしまう学生が山ほどいました。もちろん、人の縁というものがあると思うのですが、たとえ「響き」が聴こえずとも、何かがわかるかもしれない?もしかしたら、新しい何かが待っているかもしれない?と思う、好奇心や探究心の強い学生だけがレッスンに通い始めるのです。



当初何が何だか訳もわからずという思いの学生であっても、半年、1年単位で、「響き」が聴こえ始めるようです。それから先は、もちろん、紆余曲折が待っていますが、続けることによって、またそうしなければ見えない世界があり、出来るようになって初めて、続けていて良かったと思うものです。



先に挙げた、新しく来た学生も、同じような道をたどることとなるでしょうが、私は非常に楽しみにしております。



今時、本人もご両親も、インスタント食品のごとく、すぐに結果に結びつかないと気がすまない、またそれを望む方が多いように感じますが、どんな世界でも、そう簡単にやすやすと手に入れられるものではない、正に職人の世界とも言えると思います。



季節がら、日本中の音大生が卒業する節目でもありますが、これから先に、どんな勉強を続けて行くかを選択しなけらばならない、大切な時期でもあります。



皆さん、本当の意味で良い勉強を続けてほしいと心から思います。これからの日本のピアノ界を引っ張って行かなければならないのですから。



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