以前、ある世界的な超一流ピアニスト(来日公演のチケットはすぐに売り切れてしまうほどの人気)のマスタークラスを見た時のことです。受講生は今では大変ご活躍されている日本人ピアニストさんです。



その受講生の演奏は、ある意味で完璧な演奏なのです。ある意味というのは、要するにドイツピアニズムの奏法から来る表現が出来ているということです。



しかし、その超一流ピアニストの持つピアニズムはロシアピアニズムからくる、そのピアニスト独自のピアニズムで、その表現の幅は受講生の幅とは比較にならない、異次元の世界といっても過言ではないのです。2台並んでいる同じピアノからは、同じフレーズを弾いても、全く違う曲のように聴こえてしまうほどです。



ですから、超一流ピアニストからすれば、表現の幅が物足りず、レッスンにおいては「Something!!!」という言葉が幾度となく会場に叫ばれて、受講生からすると何を要求されているのか?さっぱりわからないといった状況なのです。



要するに「Something!!!」とは、音楽にあるべき「何か」を意味し、それは表情であり、表現と言うこともでき、もっと言ってしまえば音のタイミングや強弱は基より音色の変化を意味するのです。



日本人ピアニストの持つピアニズムの多くは、ドイツピアニズムですから、基本的に音のタイミングと音の強弱で表現をしていると思います。よって音色の変化が基本的に存在しない、仮にあったとしても、その幅は非常に狭いので、その超一流ピアニストからすると物足りない演奏、もしくはつまらない演奏に聴こえてしまうのだと思います。



このことは、この受講生に限らず、日本は基より全世界的な傾向であり、今回の浜松国際ピアノコンクールを聴いていても同じことを感じました。ロシア人や中国人コンテスタントの演奏には、比較的、「Something!!!」が存在しておりましたが、残念ながら「Something!!!」がない演奏で世界のピアノ界は満ち溢れており、その「Something!!!」を持ったピアニストは、世界でもほんの一握りのように感じます。

余談ですが、そのレッスンの終わりに、超一流ピアニストは、受講生の弾いたピアノに触れ、もしかしたら、楽器が原因?と思われていたようです。



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