以前の私と今とでは、弾いている感覚が全く違うことに最近思い当たりました。
いわゆる、文章と文章の間には行間があり、行間を読み取らねばならないと、昔、国語の授業で先生に言われたものですが、今の私の演奏にも同じことが言えます。
音と音との間に、行間のような感覚、ここでは音間とでも申しましょうか。その音間が、昔の奏法で弾いているときには存在せず、1つの音を弾くと、もう次の音を考えていたと思うのです。
しかし、今現在、ロシアピアニズムの奏法に変えたことにより、音間に倍音が大きく存在することとなり、その響きを聴いてから次の音を意識するということをしていることに気がついたのです。
これをするかしないかで、演奏そのものも違いますし、弾いている自分と楽器の関係も変わり、いわば、楽器との対話が成立することとなったのです。
音間を含んだ演奏は、音と音との間に豊かな倍音が存在し、その倍音のおかげで、非常に抽象的ではありますが、音楽に必要な何かとても大切な物が存在すると言えると思います。
それは、以前の章でも申し上げましたが、「音の魂」、もっと言うならば、「音楽の魂」が宿っているとも言えるでしょう。
改めて、豊かな倍音の存在する意義、その必要性を感じた次第です。
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