昨日、バッハの平均律第Ⅱ巻第14番のレッスンをしていて思ったことです。その演奏は大変素晴らしく、確固たる構成感を基に、人の気持ちの温かさにあふれた、そして美しい倍音の世界で弾かれ、まるで教会で聴いているような錯覚を覚えることができました。改めて、その生徒の、彼はまだ奏法を変えて2年目ですが、その成長ぶりを喜ばしく思うことができました。
さて、その彼が、そのような領域まで到達した後、演奏には何が必要でしょうか?
私は思いました。一体彼は、聴衆である私にどんなメッセージを曲を通して発したのか?それは一体どんな世界なのかをです。
私は彼に問いました。私に自分の演奏が例えば、温度に例えるとどのあたりの演奏だったかを。それはニュートラルな感じの演奏を中心に、それに対して温度が低くすっきりとした感じ、もしくは熱く訴えかける印象か?
彼曰く、後者の熱い感じと答えがありました。それに対して、私の持った印象はニュートラルな印象であったことを率直に述べました。
ここで大切なことは、演奏行為そのものを考えたときに、自分がこう弾きたいという思いでとどまっていてはならず、その先のことである、聴衆の存在を念頭に置くべきで、その聴衆が自分の演奏からどんな印象を持ってほしいかということまでイメージしなくてはならないことだと思うのです。
そして、彼の望んだ、熱い感じの印象を聴衆に持ってもらいたいのなら、まず長い音に注目すること、その長い音が、より色が濃く重さが感じられる音色でなければならないこと、そしてもう1点は、2音間の音程の感じ方、その距離が離れている場合に、単純にソルフェージュのごとく弾くべきではなく、楽譜には書き表すことのできない何か?を含んだタイミングで音が出てこなければならない、この場合に於いては、本来の音が鳴る瞬間よりも、ほんの少しだけ遅れさせなけばならないことです。
このようなレッスンは、生徒そのものがある段階に到達、もしくはその作品に取り組んで、その作品をある程度のところまで弾きこなして、初めて示唆できる類のことなのですが、このことは、小さな子供であったり、またやさしい作品に於いても同様に可能なことで、教師が思う、その作品の理想の形を具体的に示唆するよりも、生徒自身の潜在的に持っている感覚、やりたい事を引き出してあげるレッスンであり、要するに枝葉ではなく幹を見つめ、育てるレッスンでもあるということです。
そのようなレッスンは、もはやレッスンというのは表面上のことであり、それよりも生徒と私の間における、素晴らしい芸術作品の偉大さを共有する、またそれを確認するという行いであり、私にとっては何よりも幸せな時と感じることができる時間になったわけです。
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