ロシアピアニズムの奏法で特にショパンやスクリャービン、ドビュッシーなどの作品を弾く時を中心に、またそれだけではなく実はバッハやベートーヴェンにおいても行うことなのですが、色彩豊かな倍音の混じり合った世界で作り上げるのが基本なのです。それを実現するには、ピアノというものは「鍵盤を弾く」のではなく「鍵盤に触れる」という言葉の方が妥当です。



今日、あるレッスンでショパンのノクターンをレッスンしていたのですが、まさに「触れる」というタッチが基本でありました。それだけでは???と思う方もいらっしゃると思いますが、そう思う方に申し上げるとすれば、「鍵盤を弾く」のではなく「鍵盤に置く」と言っても良いでしょう!

いわゆる、弾いてしまうと基音ばかりしっかりしてしまい、倍音が出てきませんから、一般に日本の教育現場で良いとされているタッチは、私に言わせれば「弾き過ぎ」なのです。

余談ですが、弾くというか、タッチという意味の言葉は日本語で「打鍵」、ドイツ語で「アンシュラーク」、このシュラークという言葉はたたく、打つという意味の言葉です。ですから言葉通り日本やドイツでは打つという意味合いの言葉が使われ、英語ではタッチ、触る、触れるです。


閑話休題。
これは言葉にするのは容易いのですが、実践して、それを体感できるようになるまでは、思いのほか時間がかかります。今日の生徒もレッスンに来始めて3年目ですが、最初のレッスンで言及したことでもあり、これは基礎中の基礎でもあり、それが今日初めて体感できたといっても過言ではありませんでした。



3年目で、この感覚が理解できたのは、私の今までの経験からすると早い方だと思います。この感覚が伝わった生徒は、今までたったの数人です。なぜならば、まず第一に使い方と申しましょうか、筋肉の内部の状態が理想的になって初めて出来ることであり、その内側の感覚をつかめないと、ただの腑抜けの音しか出ないという現実があります。このことは、使い方とともに、耳の状態が理想的であり、その響きを自身が求めなくてはならないという、なんとも抽象的で困難なことなのです。



今日の生徒が出来たことは、私にとっても大変嬉しいことであり、その生徒曰く
「先生がおっしゃる、手が1階で顔が2階にある感覚というのがわかりました!」 
と言っておりましたが、まさにその通りで、そのような例えも含めて、手を変え品を変えといった具合に、様々な表現で言わねばならないほど大変難しいことなのです。



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