私は子供のころから東京藝大の先生に師事し、今から振り返ってみると、非常に厳格なレッスンを受けて育ってきました。それは、ある意味で落ち着いていて冷静な演奏を求められていたような気がします。芸術作品に対する真摯な姿勢であり、それはそれで良かったと思います。
そして、高校生の時から桐朋の先生に変わったのですが、レッスンの内容があまりにも違うのには驚きでした。「なぜそんな簡単そうな顔をして弾くのだ?」「そんな気持ちでは聴いている人に思いが届かない!」「もっと一生懸命弾きなさい!」などなど。それはそれは怖い先生で、スパルタ教育でした。先生は目と鼻の先のソファーに座っていらっしゃるのですが、「そんな音じゃここまで聴こえな~い!!!」としょっちゅう怒鳴られ、私は必死になって弾いたものです。(笑)
どちらの先生も、たまたまそのようなレッスンをするというだけで、それぞれの大学の先生全員が同じであるとは申しませんが、なんとなく、時が経ってみると、それぞれの大学の生徒の演奏を聴いていると、そのような伝統、傾向があるような気がします。
ここではどちらが良いということは申し上げられませんが、1つ思うことがあります。
演奏する時の気持ちの持ちようというか、頭の状態なのですが、ある程度の弾く意欲というか、聴いている方に伝える意欲のようなものが必要な気がするのです。
冷静で緻密な印象を与える演奏は、私が思うに温度が低い演奏であり、演奏に必要な何か?が足りない、物足りなさを感じます。
最近、生徒たちの演奏を聴いていて思うのは、やはり良い演奏というのは、どこかで冷静な部分を持ちつつも、基本的にテンションの高い、温度の高い演奏ではないか?と思うのです。
それは、弱音やゆっくりと落ち着いた作品を弾く時でも同様の状態であるべきだと思います。そのような状態で弾いてこそ、演奏行為の上での何か?
そう!魂のようなものが演奏に宿り、聴いている方に何かのメッセージが伝わり、そこには奇蹟が生まれると思うのです。
ただ、私の過去の経験から思うことは、一生懸命弾くということとは少々違うように思います。そのような状態が良いと思っていた頃の私を思い出すと、それによって弊害が出てきたように思います。それはひと言で申し上げて、身体の力みです。そして、それによって生ずる、無駄な動きと音の汚さです。
過去の私は、そのような勘違いをしていたと思います。
みなさんも、そのような観点からご自身の頭の中や心の状態、そして演奏というものを見つめてみてはいかがでしょうか?
クリックお願いします!
にほんブログ村