私が今まで出会った生徒たちは、この約15年余りで、ざっと250人を超えます。その殆どが、専門的に勉強している受験生から、音大生、音大卒業生です。どこにも所属しない私のところへそういう生徒たちが集まってくるのは、色々な方々から不思議と言われますが、多くの専門的にピアノに携わっている方々が、自分自身の受けてきた教育に疑問を感じたり、限界を感じたり、ロシアのピアニストに憧れたりと理由は様々です。もちろん、その生徒たちが1人も私のところをやめていなければ、現在の生徒数は250人を超えてしまうという、私1人でこなすことは不可能な数で、あり得ないことになってしまいますから、当然、何人もやめていったことになります。
この件については、非常にデリケートなことであり、また理由は様々ですので、全ての例を挙げてお話しするわけにはいきません。
ただ、最近思い当たることがあり、ここに書き留めておきたいと思った次第なのですが、数年前のこと、時を同じくして数人の生徒たちがやめていきました。
当時の彼ら、彼女らのレッスンを覚えていますが、とにかく私が言ったことを理解できないのか?同じことを何回も言わなくてはならない、私にとっても生徒にとっても、なんにも発展もないマンネリなレッスンだったのです。当然、私にしてみれば、生徒の側に問題があるからだと思いますし、生徒の側からしてみれば、私のレッスンはつまらないものと感じていたと思うのです。まさに悪循環の極みに達していました。結果として先に申し上げましたように、生徒たちは去っていったのです。
それから数年たった今、あることに私は気がつきました。先に挙げたような状態のレッスンになってしまったのは、生徒の側の責任であるというのは間違いであるということです。
当時の私は、自分のキャパを超えた生徒数に、日々レッスンに明け暮れる毎日を送っていました。ですから、今現在のような生活、それは自分の勉強をする時間とエネルギーをしっかり確保しているのですが、そのような状態ではなかったのです。
そのような多忙すぎる日々を送っていた私ですから、生徒の演奏を聴いても、ある決まり切ったことしか言えなかった、要するに幅広く演奏を捉え、指導する発想が浮かばない状態だったのです。当然、レッスンはまるでオウムのごとくに、同じことの繰り返しを言ってましたし、言う方も言われる方も、本当にフラストレーションがたまる一方になったわけです。
ここで申し上げたいのは、教師というのは、教師である前に芸術家でなければあらず、自分自身の勉強を怠ってはならないということです。
例えば私と生徒の間に10年の開きがあるとします。もし私が勉強をしなければ、生徒の側がだんだん私に近づいてくることになりますから、その開きは10年だったとしても、だんだん近づいてきてしまうのです。そうなると、生徒の側からしてみれば、教師である私が、悪い意味でどんどん身近な存在になってしまい、最悪の場合は生徒になめられてしまったと思うのです。
ですから、生徒が努力し向上するように、教師の側も同じスピード、もしくはそれ以上に努力、研究をしないと、その開きを保つことはできません。その開きを維持しつつ、時には生徒の次元に降りていく必要もありますが、私が思う良い教師というのは、生徒の次元に降りていく必要はないと思うのです。
細かく指導する教師が、良い教師だと思われがちですが、教師は、あくまでも一芸術家であり続けるべきで、演奏活動や研究を怠らずに、その芸術家としての姿を、生きざまを見せる、そうして生徒たちにどうあるべきかを身を持って教えないで教えるべきだと思うようになったのです。(もちろん、基礎的な段階、内容に関しては細かく根気強く指導するべきですが)具体的には、言葉で説明するよりも、片手の1フレーズでも、1小節でも弾いて聴かせ、音は音で伝え、目に見えない響きの交信とでも申しましょうか、それをわかり合えて、共有できる喜び、それはまさに奇跡とも言える瞬間だと思うのです。
現に私の留学時代、モーツァルテウム音楽院にて師事していたアルフォンス・コンタルスキー先生のレッスンは、まず、生徒である私が、持ってきた作品を通して弾き、それに対して少ない注意が与えられ、先生ご自身がほとんど実際に弾いて下さるという形式がとられ、生徒である私は、先生の演奏から様々なことを盗み取る、アンテナを張り巡らして感じ取らねばならないものでした。
例えばブラームスの2番のコンツェルトのような大曲でも、最初から演奏会のように弾けなくてはならず、必ず3回から4回のレッスン、つまり約1カ月で仕上げなければならない過酷な日々でした。今から思えば、コンタルスキー先生はご自身が芸術家として、そして、私に対してもまだまだ稚拙ではありましたが、1人の芸術家として扱ってくださったように感じます。先生は先生のステージにあくまでもおられ、私のレヴェルには降りてきてくださらなかったと思いますが、そのことが今の私にとっては、ある意味で大きな財産となりました。
それはさて置き、教師がどのようなレッスンをしたとしても、去っていく生徒は必ずいるでしょうが、教師は先に挙げたような自分自身の信念を貫きつつ、その後ろ姿を堂々と見せればよいのです。勉強を続ける後ろ姿をです。そのようにして、生徒自身に考えさせ、自ら気付くことができる生徒、教師から刺激を受け、それを盗むことができる生徒、自分自身を叱咤激励し這い上がってこれる生徒などが、厳しいようですが本当の意味で成長することができ、本物の芸術家になっていくと思うようになった次第です。
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