音というのは目に見えませんから、以前もお話ししましたように聴こえる人にしか聴こえないという、ある意味で厄介な物といえるのかもしれません。それは、人それぞれの感受性により、同じ音を聴いても同じように聴こえない、だからこそ興味深いことなのかもしれません。



日本に於いての学生時代まで、つまりロシアピアニズムの音を生でまじかで聴く事が出来るようになるまで、私にとって「音色」という言葉は存在しても、それが具体的にどれをさして「音色」と感じることができるまでは、非常にあいまいでした。多分、このブログの読者の皆さんの大勢の方が同じような感覚であるかもしれません。

ただ、私自身の子供のころから好んで聴いていたピアニスト、また1度聴いただけで興味もわかなかったピアニストを思う時に、今だから実感できることで、その当時は無意識に感じていたことなのですが、音色の変化のないピアニストには興味を持たなかったようです。例え、そのピアニストが巨匠と呼ばれるようなピアニストだったとしても、何が良いのか?さっぱりわからなかったのを記憶しています。



参考までに、私が子供のころから夢中だったピアニストを挙げるとすれば、マルタ・アルゲリッチを筆頭に、当時のショパン国際コンクールで入賞し、来日公演においてのディーナ・ヨッフェ先生、ダン・タイ・ソン、タチアナ・シェバノヴァ、イーヴォ・ポゴレリチなど、無意識のうちにロシアピアニズムの響きのピアニストに夢中でした。



さて、一般的にプロであっても、ピアノに音色の変化があると自信を持って肯定する方は、案外少ないように感じます。



ピアノは打楽器であり、音色の変化は全くつかず、強弱の変化を音色の変化と錯覚しているという考えの方。



ピアノというのは音色の変化はあるけれど、それは1音では不可能で2音目が鳴った時から生ずるという考えの方。



大きく分けて、この2つの考え方のいずれかの考えの方が多いように思います。



この2つの考え方に対して、私は異論を呈したいと思います。それは、その考えの持ち主の奏法から来る、実現可能なことから来る、ある意味で狭い考え方であり、ピアノという楽器の本当の弾き方、私に言わせれば世界規模で見たときに実はスタンダードな弾き方をご存じないから、そのような考えを持ってしまうと思うのです。



私は、たくさんのロシアピアニズムのピアニスト、先生たちのおかげで、大変恐縮ではありますが、今の段階でさえも、例え1音であっても、具体的にタッチを変えることにより音色の変化を、音色の性格を変えることができようになりました。でもこれがゴールではなく、これから先、もっともっと多彩な表現ができるようになりたいということも思っております。



現代のピアノという楽器は、無限の表現の可能性を秘めた素晴らしい楽器です。ですから、奏者であるこちら側が、楽器に対して歩み寄る、その性能を知り尽くさねばならないということを永遠に探求しなければならないのです。



しつこいようですが、「ピアノに音色の変化は存在します!」ということを声を大にして申し上げたいと思います。


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