一般的に解釈を考えるときというのは、譜読みの時、楽譜を見ながら決めることが多いように思います。私自身も以前はそうでした。


しかし、ロシアピアニズムの奏法が身についてから感じることになったのですが、色々な響きを出すことができるようになると、それ以前の一般的な奏法で弾いていた時の感覚とは全く違ということを思い知りました。以前の奏法で弾いていた時の感覚は2次元の世界であり、今の感覚は3次元の世界で音楽をしているということです。


ですから、楽譜の世界も2次元の世界であり、楽譜を読んで解釈を決めるということは、あくまでも2次元の世界の中で、その作品を見つめることになり、それは非常に狭い範囲の感覚の中で行うことになってしまうわけです。


確かに、弾いてみる前に楽譜をじっくり読んでみるということは、大切なことであるとは思いますが、実際に音に出して弾いてみると、特に3次元の世界で弾いてみると、楽譜を読んだだけでは感じることができなかった世界を感じることになるのです。


これは、あくまでも3次元の感覚で演奏できる方にしかわからないことではありますが、その感覚を知ってしまったがために、それ以前の感覚の演奏が無意味で空虚なものとして思ってしまうほど別次元であり、それによって、音に出さずに楽譜を見つめるだけで解釈を決めることも、同様に無意味なことであると思うようになったわけです。


どんな作曲家の作品においても大なり小なり同じことが言えますが、とりわけロマン派以降の作品においては、音の層が縦に重なり合うためでしょう、音と音とを、響きと響きとを、それぞれの音の持つ倍音の混ざり具合によって、その色合いは無限の可能性を秘めていることを実感し、中でもスクリャービンの世界は、この感覚で弾かなければ、真のスクリャービンの書き残したメッセージを感じることはできないとの結論に至りました。


そのようなことから、解釈というものは、実際に音を出してみないと決めることはできないということ実感しています。 

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