この10年間を振り返って
私が大野先生と出会ったのは、大学3年。当時自分自身の演奏に対し限界を感じていた時で、自分のイメージする音楽が思うように表現できないというジレンマに陥っていました。また、音楽をある意味「型」にはまった表現としてのみ追い求めていくという表現に対する制約にも疑問を感じていました。
音楽はイメージから生まれるものです。演奏では、主観的に音楽を心で描いて聴く(イメージ)と客観的に鳴っている音楽を聴く(イメージの確認)その両方が大事であると思っています。そして心で描く音楽的イメージの質を上げることがなによりのピアノ上達の秘訣であると思います。心でイメージしていないものはどうやっても実現は不可能であると思うからです。心でイメージした音楽が実現するためにテクニックが必要なのであって、その逆であってはならないと思います。だからこそいい演奏に触れたり、ピアノ以外の作品からイメージや発想をもらうということは大切なことなのだと思います。
私はどちらかというと不器用な人間です。昔から人が同じことを達成するのに要する時間より、はるかに長く時間をかけなければ同じことが出来ませんでした。自分は人が当たり前のようにできることでも地道にコツコツとやっていかなければならない人間であることを知っていました。私が大野先生の所にはじめて伺った時、恥ずかしながら正直私には響いている音と響いていない音を聴き分けることが出来ませんでした。それまでの聴き方はきっと音を聴いてるつもり、分かったつもりになっていたのでしょう。音の響きに対しはっきりと違いが 認識出来るようになり、今まで聴いてきた音はいったいなんだったのか、これまで聴いてきたものが全く的外れなものだったということに気がつくのはもっと後のことです。今考えればそれまでは、音だけを追っていて響きなんて全く聴いてなかったのです。耳の聴こえ方は段々と変わってくるものなのだと初めて知りました。今でも聴き方は変わってきていると感じています。
レッスンで大野先生が作り出される音楽は、各時代の作曲家によるスタイルを捉えていながら、表現のつけ方は全く自由であり、大胆であり、その表現に全く制約はなく、私はレッスンの度に共感を超えた感銘を受けたのを覚えています。同時に自分の表現する音楽、そして進むべき道に自信を見出しました。レッスンはまさに一音の追求でした。私は先生の言わんとしている事がどういうことであるのか、どういう響きを求めているのかを必死に追い求めていきました。耳が備わってくるに従って、弾いてくださる先生の 音を聴きながら、どうして先生はこのような音を鳴らせるのだろうと思っていました。そしてピアノ奏法についてもこれまでの教えられてきたことがいかに矛盾だらけで間違っていたかを知りました。
私は大野先生にご指導いただいて始めて、ピアノという楽器の本当の素晴らしさを知りました。それまで避けてきたショパンを、先生のピアノの基礎はショパンにあるという言葉を受け、ショパンを避けてきたのは ただ逃げてきただけなのだと恥ずかしく思いました。先生に言われるがままに、一生やらないだろうと思っていたショパンの協奏曲やソナタなどを徹底的に勉強 させていただきました。それらの曲はまさに今のテクニックの基礎になっています。
大野先生への感謝はここに書ききれるものではないですが、これからも音楽を続けて一生をかけて向上していく努力をし、後進の指導によってこれまで培ってきた多くのことを伝えていくことで少しでも恩返しができればと思っています。
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