人間、皆がそうだというわけではありませんが、弱い部分と言うものがあると思います。その1つに権威主義的な部分、具体的にはその人の出身大学で、その人を良くも悪くも見てしまうことです。 
私自身、今でこそ、そのようなことを単純に思わなくなりましたが、以前の私は音楽大学以外の分野の学校名、例えば東大、一橋、早稲田、慶応、上智と聞いただけで、ある種の感覚というものを持っていたことは否めません。その理由の1つに、音楽大学以外の大学のことは、よくわからなかったために、ただ単純にそのようなことを思ってしまったのです。
しかし、現実にそのような大学出身の方と接することも多くある中で、必ずしも人間としての魅力とは関係ないという真実もわかりました。例え、高卒であっても、素晴らしい方はたくさんいますし、その方の人間としての器とか、魅力的な人柄であったり、常識的に好感が持てたり、物事の真実を悟っていたりするものです。



ことピアノの世界に限ってお話ししますと、確かに難関な大学もあれば、そうでない大学があるのも事実です。そして、その大学に通ったがために、類は友を呼ぶと申しますが、その大学の環境に無意識のうちに染まり、結果として演奏のカラー、傾向というものがあり、それにも染まってしまうようにも感じます。そもそも、大学受験までにどういう教育を受けてきて、その段階で、どれだけのことが出来るようになったか?という違いだけで、上下の問題でもありませんし、芸術の世界と言うのは、大学に行っただけで勉強が終わるのではなく、一生が勉強であり、大学入試の時点で人より抜きんでたとしても、それはそれだけのことに過ぎず、どうせ30歳くらいで、良い勉強さえ続けていれば技術的には横一線に並ぶのです。大切なのは大学を出てから、何を考え、感じ、人としてどう生きるのか?ということです。ですから、大学という大きなくくりではなく、その人、個人がどういう人間なのか?ということを思う事が、人間は弱い生き物ですから、難しいかもしれませんが重要であると思います。



よく考えてみてください。大学というのはただの教育機関に過ぎず、もちろん大学という生き物でもありませんし(笑)、その大学を出ても、その大学はその人の将来を面倒見てくれるわけもなく、ただの建物と言ってもいいでしょう。(笑)



そもそも演奏というものは、その人の出身校で決まるのではなく、その時点でどういう生き方をしているか?人生の中でどのようなステージに立っているのか?ということが反映されます。ですから、出身校でその人のすべてをイメージしてしまうことは、根本的に間違っていると思います。あくまでも、その人個人を見て、どういう人間なのか?どういう演奏をするのか?どういう教え方をするのか?を難しいとは思いますが、判断するべきです。


ディーナ・ヨッフェ先生も同じ考えをお持ちで、留学希望者に対しておっしゃっていたのは、どこの国とか、どこの町とか、どこの大学に留学するという考えではなく、どの先生に習いたいか?が一番重要だということです。


ですから、日本において、将来音楽大学を希望している子供たち、保護者の皆さんにお伝えしたいのは、実際に音楽の世界をご存じないから、ピアノを弾いていくということの本質を身をもって体験されてきていないから理解できない。だから、取り敢えず、大学名で将来を考え、教師を選んでしまうのだと思います。実際にその大学の学生の演奏がどういう傾向にあるのか?その大学がどんな環境なのか?どんな傾向の人間が集まってくるのか?どんな指導をする教師がいるのか?そもそも、その学校や教師と自分、またはお子さんの相性が合うのか?そういうことを本当にお分かりになって決めているのでしょうか?



これは人間の弱い部分であり、判断基準の誤りでもあり、非常に残念なことに思いますし、私の今までの経験から思うに、そういう考えのご両親のもとで育ってきたお子さんは、将来ピアニストになれる、大成することはないように感じます。かわいそうですが、そういう意味でその子に「環境の才能」がないとも言えます。逆に、数少ない順調に育った、ある意味で音楽家として一人前になった生徒たちを見ていますと、彼らの考えや、そのご両親のお考えは、非常に柔軟であり、とても素朴で謙虚です。権威主義からは程遠い考えの方々ばかりです。



私から言わせて見れば、私自身、自分の出身校や過去のコンクール受賞歴に全くこだわって生きていません。むしろ出身校の負の部分が気になることはありますが。話は横道にそれますが、皆、自分のリサイタルのチラシの経歴を書くときに、確かに自己アピールは大切なのですが、ちょっとどうか?と思う記述をよく見かけます。例えば、どこどこでリサイタルを催し好評を得るなどの自画自賛の言葉や、ドイツ演奏家国家資格を得るなどと、そんな資格試験などないのに書いていたり、パリ・エコール・ノルマルやコンセルバトワール1等賞で卒業と1人しか卒業試験を受けていないのに書いてみたりなど、ちょっとヤバいんじゃない?と思うことを皆が書いているからという理由で書いていたりする習慣に疑問を持ちます。



話は戻りますが、私がかろうじて誇れるのは、バシキーロフ、ニコラーエワ両先生との出会いがあってロシアピアニズムを知ることができたこと、その後のディーナ・ヨッフェ、パーヴェル・ネルセシアン、アンナ・マリコヴァ各先生との深い絆であり、そして、この20年間の歩みに対してです。現に、私自身ロシアピアニズムの教師であり、私自身がロシアピアニズムに傾倒していますので、そのような伝統がまだないと言ってもいい既存の日本の大学に対して、もちろん、生徒自身が希望すれば自由にさせますが、どこの大学を受験するか?ということに根本的には、こだわりはありません。日本で、どこの大学に行こうが、基本的に同じことだからです。


それよりも、どこの大学であろうが、私の知る限り、私の思うところの良い教師に習ってほしいと思うだけです。それが、例え日本の大学でなくてもかまいませんし、日本だとしても、音楽大学ではなく、一般の大学に進学してもかまいません。くどいようですが、学校名で演奏の上下や指導の実力が決まるわけはなく、あくまでも、その人個人がどう生きるか?で決まるのです。これは、一言で申して人間としての器が重要であり、音楽大学に限った話ではないことは、皆さんがよくご存じなはずです。


出身校やお金をどれだけ稼げるか?が人間の価値を決めるということではない真実をです。ですから、出身校で先生を決めるという事はナンセンスなことなのです。そもそも、私自身ヨーロッパに住んでいて感じたのですが、どんなに私自身が努力をしても、東洋人というだけで差別をされ、「黄色いサル」呼ばわりする人もいるのは残念なことだと思ったものです。もし、このブログを読んでくださっているあなたが、高学歴で高収入であり、いまどきの言葉で言う「勝ち組」だったとしても、「黄色いサル」呼ばわりされ、人間としての価値がないような扱いを受けることも現実にあるのです。もちろん、そのような思いをしたくはないでしょう。ですから、あなた自身もそのような考えを持つべきではないと思いませんか???



ブログランキング・にほんブログ村へクリックお願いします!
にほんブログ村